『読老子』第七十八章


今回は『読老子』の第七十八章、つまり『老子』の第七十八章の翻訳と解説です。今回もしっかりと頑張っていきます。


●原文:

天下莫柔弱於水、而攻堅彊者莫之能先。以其無以易之也。柔之勝剛、弱之勝彊、天下莫不知、莫能行。是以聖人云、受國之垢、是謂社稷主。受國之不祥、是謂天下王。正言若反。


●書き下し文:

天下(てんか) 水(みづ)よりも柔弱(じうじやく)なるは莫(な)く、而(しかう)して堅彊(けんきやう)を攻(せ)むる者(もの)、之(これ)に能(よ)く先(さき)んずる莫(な)し。其(そ)の之(これ)を易(か)へること無(な)きを以(もつ)てなり。弱(じやく)の彊(きやう)に勝(か)ち、柔(じう)の剛(がう)に勝(か)つは、天下(てんか) 知(し)らざる莫(な)くして、能(よ)く行(おこな)ふこと莫(な)し。是(ここ)を以(もつ)て聖人(せいじん) 云(い)へらく、國(くに)の垢(あか)を受(う)く、是(これ)を社稷(しやしよく)の主(あるじ)と謂(い)ふ。國(くに)の不祥(ふしやう)を受(う)く、是(これ)を天下(てんか)の王(わう)と謂(い)ふ。正言(せいげん) 反(はん)するが若(ごと)し。

「彊」の新字体は「強」(他の部分では「強」の旧字体として を用いています。補足しておきます。)「國」の新字体は「国」
「水(みづ)」の新仮名遣いは「水(みず)」
「柔(じう)」の新仮名遣いは「柔(じゆう)」
「彊(きやう)」の新仮名遣いは「彊(きよう)」
「易(か)へる」の新仮名遣いは「易(か)える」
「剛(がう)」の新仮名遣いは「剛(ごう)」
「行(おこな)ふ」の新仮名遣いは「行(おこな)う」
「云(い)へらく」の新仮名遣いは「云(い)えらく」
「祥(しやう)」の新仮名遣いは「祥(しよう)」


●解説:

本文に入る前に述べておきます。この『老子』の翻訳と解説である『読老子』は、三つのブログに分かれています。最初は以下の旧ブログから始まりました。

旧ブログ:玄齋詩歌日誌 - Yahoo!ブログ
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai

旧ブログは第一章から第十二章までです。こちらのアカウントには現在アクセスが出来ない状況ですので、新たなアカウントで次のブログに引っ越しました。(今のブログの引っ越し前のブログです)

引っ越し前のブログ:玄齋の書庫 - Yahoo!ブログ
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/samura_masaya

引っ越し前のブログは第十三章から第七十六章までです。こちらのブログでは最近普通にブログをアップしようとするだけでもエラーが出てアップが出来ませんので、現在のブログに引っ越ししてきました。

現在のブログ:玄齋の書庫(引っ越し先) - Seesaa BLOG
URL: http://samura-gensai.seesaa.net/

こちらは本日時点では第七十七章と、この第七十八章までになっています。

ちなみに、旧ブログと引っ越し前のブログは、次の Web サイトによる統合作業を行っています。

Web サイト:玄齋全集
URL: http://book.geocities.jp/samura_masaya/

という現状です。八十一章の完了までしっかりと頑張っていきます。


では、本文に入ります。

「天下(てんか) 水(みづ)よりも柔弱(じうじやく)なるは莫(な)く、而(しかう)して堅彊(けんきやう)を攻(せ)むる者(もの)、之(これ)に能(よ)く先(さき)んずる莫(な)し。其(そ)の之(これ)を易(か)へること無(な)きを以(もつ)てなり。」

ここは引っ越し前のブログの第四十三章で一度取り扱った部分です。

この部分をそのまま訳しますと、次のような現代語訳になります。「天下の物の中で、水よりも周囲と調和して弱々しい態度でいるものは無く、それでいて堅くて強いものを攻めるものの中で、水よりも前に出る者はいません。水は(周囲と調和して弱々しい態度でいながらも)常に自分の性質を変えることが無いからです。」と。

この部分は、北宋(ほくそう)の呂吉甫(りょきつほ)の註釈には、次のように述べています。

■原文:

天下之物、唯水爲能因物曲直方圓而從之、則是柔弱莫過於水者也。而流大物、轉大石、唯水爲能、則是攻堅kyou.png者、無以先之也。所以然者、以雖曲折萬變、而終不失其所以爲水、是其無以易之也。

■書き下し文:

天下(てんか)の物(もの)、唯(ただ) 水(みづ)のみ能(よ)く物(もの)の曲直方圓(きよくちよくはうゑん)に因(よ)りて之(これ)に從(したが)ふものと爲(な)る、則(すなは)ち是(これ) 柔弱(じうじやく) 水(みづ)に過(す)ぐる莫(な)きなり。而(しか)れども大物(だいぶつ)を流(なが)し、大石(たいせき)を轉(てん)じ、陵谷(りようこく)を穿突(せんとつ)し、天地(てんち)を浮載(ふさい)するは、唯(ただ) 水(みづ)のみ能(よ)く爲(な)す、則(すなは)ち是(これ) 堅kyou.png(けんきやう)を攻(せ)むる者(もの)、以(もつ)て之(これ)に先(さき)んずる無(な)きなり。然(しか)る所以(ゆゑん)の者(もの)は、其(そ)れを以(もつ)て曲折萬變(きよくせつばんぺん)すと雖(いへど)も、而(しか)れども終(つひ)に其(そ)の水(みづ)たる所以(ゆゑん)を失(うしな)はず、是(これ) 其(そ)の以(もつ)て之(これ)を易(か)へること無(な)きなり。

「圓」の新字体は「円」、「從」の新字体は「従」、「爲」の新字体は「為」、「轉」の新字体は「転」、「萬」の新字体は「万」、「變」の新字体は「変」
「方(はう)」の新仮名遣いは「方(ほう)」
「圓(ゑん)」の新仮名遣いは「圓(えん)」
「從(したが)ふ」の新仮名遣いは「從(したが)う」
「則(すなは)ち」の新仮名遣いは「則(すなわ)ち」
kyou.png(きやう)」の新仮名遣いは「kyou.png(きよう)」
「所以(ゆゑん)」の新仮名遣いは「所以(ゆえん)」
「雖(いへど)も」の新仮名遣いは「雖(いえど)も」
「終(つひ)に」の新仮名遣いは「終(つい)に」
「失(うしな)はず」の新仮名遣いは「失(うしな)わず」
「易(か)へる」の新仮名遣いは「易(か)える」

■現代語訳:

天下の物の中で、ただ水だけが良く物の曲がると真っ直ぐ、四角と円の形に基づいてそれに従うものなのです。つまりこれは、周囲と調和して弱々しい態度でいるのは、水に勝るものが無いということです。ですが水は、大きな物を流し、大きな石を転がして、丘と谷を掘り、天地を浮かべて載せるのは、ただ水だけが良く行なえるのです。つまりこれは、堅くて強いものを攻めるもののうちで、水より前に出るものは無いということです。そうなる理由は、水が物によって折れ曲がり、さまざまに変化したとしても、ついには水である理由(水としての性質)を失わないのです。これは、水が性質を変えることが無いということです。


更に、南宋(なんそう)の林希逸(りんきいつ)の註釈には、次のように述べています。

■原文:

水爲至弱、而能攻堅kyou.png。世未有能勝之者、千金之堤、敗於蟻穴之漏、是弱之勝kyou.png者、無以易於水也。

■書き下し文:

水(みづ) 至弱(しじやく)たりて、而(しか)れども能(よ)く堅kyou.png(けんきやう)を攻(せ)む。世(よ)の未(いま)だ能(よ)く之(これ)に勝(か)つ者(もの) 有(あ)らざるは、千金(せんきん)の堤(つつみ)、蟻穴(ぎけつ)の漏(ろう)に敗(やぶ)る、是(これ) 弱(じやく)のkyou.png(きやう)に勝(か)つ者(もの)にして以(もつ)て水(みづ)に易(か)へること無(な)きなり。故(ゆゑ)に曰(いは)く、其(そ)の以(もつ)て之(これ)を易(か)へること無(な)しと。

「故(ゆゑ)に」の新仮名遣いは「故(ゆえ)に」
「曰(いは)く」の新仮名遣いは「曰(いわ)く」

「蟻穴(ぎけつ)の漏(ろう)に敗(やぶ)る」は、『韓非子(かんぴし)』の「喩老(ゆろう)第二十一」の篇の一節に述べられている部分です。次の一節です。

○原文:

千丈之隄、以螻蟻之穴潰。百尺之室、以突隙之烟焚。故曰、白圭之行隄也塞其穴、丈人之愼火也塗其隙。是以白圭無水難、丈人無火患。此皆愼易以避難、敬細以遠大者也。

○書き下し文:

千丈(せんぢやう)の隄(つつみ)も、螻蟻(ろうぎ)の穴(あな)を以(もつ)て潰(つひ)ゆ。百尺(ひやくせき)の室(しつ)も、突隙(とつげき)の烟(けむり)を以(もつ)て焚(や)く。故(ゆゑ)に曰(いは)く、白圭(はくけい)の隄(つつみ)を行(ゆ)くや其(そ)の穴(あな)を塞(ふさ)ぎ、丈人(ぢやうじん)の火(ひ)を愼(つつし)むや其(そ)の隙(げき)を塗(ぬ)ると。是(ここ)を以(もつ)て白圭(はくけい) 水難(すいなん) 無(な)く、丈人(ぢやうじん) 火患(くわくわん) 無(な)し。此(これ) 皆(みな) 易(やす)きを愼(つつし)みて以(もつ)て難(なん)を避(さ)け、細(さい)を敬(うやま)ひて以(もつ)て遠大(ゑんだい)なる者(もの)なり。

「愼」の新字体は「慎」、「烟」の新字体は「煙」
「丈(ぢやう)」の新仮名遣いは「丈(じよう)」
「白圭(はくけい)」の新仮名遣いは「白圭(はつけい)」
「火(くわ)」の新仮名遣いは「火(か)」
「患(くわん)」の新仮名遣いは「患(かん)」
「敬(うやま)ひ」の新仮名遣いは「敬(うやま)い」
「遠(ゑん)」の新仮名遣いは「遠(えん)」

「白圭(はつけい(はくけい))(小書き文字を使うと「はっけい」)」は、古代中国の戦国(せんごく)時代の周(しゅう)の国の人で、経済の循環する周期を読み取って、その時々に価値の下がったものを買い、価値の上がったものを売るという形で巨富を築いた人物です。後に魏(ぎ)の恵王(けいおう)に仕えて大臣となり、治水事業を担当しました。

「丈人(じようじん(ぢやうじん))(小書き文字を使うと「じょうじん」)」は、『周易(しゅうえき:又は『易経(えききょう)』)』の師(し)の卦の卦辞(かじ:卦を説明する言葉)にある言葉です。師(し)とは軍隊のことです。まずは師(し)の卦について見ていきます。師(し)の卦の形は、図1のようになっています。

師卦.png
図1.師(し)の卦の形


師(し)の卦は内卦(ないか:下半分の八卦)が坎(かん:☵)で外卦(がいか:上半分の八卦)が坤(こん:☷)、つまり地(坤(こん:☷))中に水(坎(かん:☷))があるという卦の形で、地中の水を求めて多くの人が集まることを示します。更に、内卦(ないか)が坎(かん:☵)で外卦(がいか)が坤(こん:☷)であることから、軍隊を率いる人は、心の内を厳しくして、外(戦場)では道理に従う、又は戦場という険しい道を、道理に従って行く、という所が師(し)という卦の意味となっています。九二(きゅうじ:下から二番目の陽の爻(こう:卦を構成する六本の陰陽を示す線))に五つの陰の爻(こう)が従うという関係があり、彼は軍隊を率いる人であり、君主もその将軍に従うことを示しています。

次に、この師(し)の卦の卦辞(かじ)には、次のように述べています。

★原文:

師、貞丈人、吉、无咎。

★書き下し文:

師(し)、丈人(ぢやうじん)に貞(てい)なれば、吉(きち)にして、咎(とが) 无(な)し。

(「无」は「無」の略字です。)

★現代語訳:

師(し)の卦は、丈人(じょうじん)が民衆に正しい気持ちを執り守るようにして治めることによって、吉となり、そのような気持ちであることによって、咎めを免れるのです。


ここで、「丈人(じょうじん)」とは何かということを考えていきます。

まずは「丈(じょう)」について、『大戴礼記(だたいらいき)』の巻十八にある、「本命(ほんめい)」の篇の一節には、次のように述べています。

☆原文:

男者、任也。子者、孳也。男子者、言任天地之道、而長萬物之義也。故謂之丈夫。丈者、長也。夫者、扶也。言長萬物也。

☆書き下し文:

男(だん)とは、任(にん)なり。子(し)とは、孳(げつ)なり。男子(だんし)とは、天地(てんち)の道(みち)に任(にん)じて、而(しかう)して萬物(ばんぶつ)に長(ちやう)たるの義(ぎ)を言(い)ふなり。故(ゆゑ)に之(これ)を丈夫(ぢやうふ)と謂(い)ふ。丈(ぢやう)とは、長(ちやう)なり。夫(ふ)とは、扶(ふ)なり。萬物(ばんぶつ)に長(ちやう)たるを言(い)ふなり。

「而(しかう)して」の新仮名遣いは「而(しこう)して」
「長(ちやう)」の新仮名遣いは「長(ちよう)」

☆現代語訳:

「男(だん)」とは「任(にん)」、つまり役目を仰せつかることであり、「子(し)」とは、「孳(じ)」、つまり増えるということです。そこから、「男子(だんし)」とは、天地の道を行うという役割を(天から)仰せつかって、そしてあらゆる物事に長(おさ:頭(かしら))となるという意味があることを言うのです。「丈(じょう)」とは「長(ちょう)」、つまり長(おさ:頭(かしら))のことであり、「夫(ふ)」とは「扶(ふ)」、助けるということです。つまり、「丈夫(じょうふ)」とは、あらゆる物事に長(おさ)となるということを言うのです。


ここから、「丈(じょう)」には「長(ちょう)」、つまり長(おさ:頭(かしら))という意味があることが分かります。

更に、清(しん)の恵棟(けいとう)の『周易述(しゅうえきじゅつ)』の師(し)の卦のの卦辞(かじ)についての疏(そ:注(註釈)を更に解説したもの)には、次のように述べています。

☆原文:

丈人、老人、年長者也。震爲長子、長丈同物。故云丈之言長。

☆書き下し文:

丈人(ぢやうじん)、老人(らうじん)、年長者(ねんちやうしや)なり。震(しん) 長子(ちやうし)たりて、長(ちやう) 丈(ぢやう) 同(おな)じき物(もの)なり。故(ゆゑ)に云(い)へらく、丈(ぢやう)の長(ちやう)と言(い)ふと。

☆現代語訳:

丈人(ちょうじん)とは、老人や年長の人のことです。互卦(ごか:一般的に、爻(こう:卦を構成する六本の陰陽を示す線)の二番目から五番目(下から二・三・四・三・四・五)で作られる卦で、元の卦に隠された性質を示す卦です。)の内卦(ないか:卦の下半分の八卦)になる震(師(し)の卦の互卦(ごか)は復(ふく)の卦であり、復(ふく)の卦の内卦(ないか)は震(しん:☳)になります。)は長子(ちょうし:長男、年長の男)の意味があり、長(ちょう)と丈(じょう)は同じものを指しています。ですから、「丈(じょう)を長(ちょう)と言います。」と言うのです。


ここから、丈(じょう)は長(ちょう)であり、師(し)の卦の互卦(ごか)の内卦(ないか)から「長男、年長の男」という意味が隠されていて、そこから丈人(じょうじん)は「老人」或いは「年長の人」であることが分かります。

更に、北宋(ほくそう)の程頤(ていい)の註釈(『周易程氏伝(しゅうえきていしでん)』又は『伊川易伝(いせんえきでん)』)には、次のように述べています。

☆原文:

丈人者、尊嚴之稱。帥師總眾、非眾所尊信畏服、則安能得人心之從。

☆書き下し文:

丈人(ぢやうじん)なる者(もの)は、尊嚴(そんげん)の稱(しよう)なり。師(し)を帥(ひき)ゐて眾(しゆう)を總(す)べ、眾(しゆう)の尊信(そんしん) 畏服(ゐふく)する所(ところ)に非(あら)ざれば、則(すなは)ち安(いづく)んぞ能(よ)く人心(じんしん)の從(したが)ふを得(え)んや。

「嚴」の新字体は「厳」、「稱」の新字体は「称」、「眾」の新字体は「衆」、「總」の新字体は「総」
「帥(ひき)ゐて」の新仮名遣いは「帥(ひき)いて」
「安(いづく)んぞ」の新仮名遣いは「安(いずく)んぞ」

☆現代語訳:

丈人(じょうじん)というのは、尊くて威厳のある人の様子を称えたものです。軍隊を率いて民衆を治めるという地位は、民衆が尊び信頼し、怖れ慎んで服従する、そのような人で無ければ、それでどうしてよく民衆の心を従わせることが出来るでしょうか。


以上より、「丈人(じょうじん)」とは、老人や年長者の、尊くて威厳のある人であることが分かります。そのような人であればこそ、民衆を率いることが出来るということです。

更に「丈人(じょうじん)」という言葉が用いられているものに、『論語(ろんご)』の「微子(びし)第十八」の篇の一節があります。次の一節です。

☆原文:

子路從而後、遇丈人以杖荷蓧。子路問曰、「子見夫子乎。」丈人曰、「四體不動、五榖不分、孰爲夫子。」植其杖而芸。子路拱而立。止子路宿、殺雞爲黍而食之、見其二子焉。明日、子路行以告。子曰、「隱者也。」使子路反見之。至、則行矣。子路曰、「不仕無義。長幼之節、不可廢也。君臣之義、如之何。其廢之。欲潔其身、而亂大倫。君臣之仕也、行其義也。道之不行、已知之矣。」

☆書き下し文:

子路(しろ) 從(したが)ひて後(おく)れ、丈人(ぢやうじん)の杖(つゑ)を以(もつ)て蓧(あじか)を荷(にな)ふに遇(あ)ふ。子路(しろ) 問(と)ひて曰(いは)く、

「子(し) 夫子(ふうし)を見(み)るか。」

と。丈人(ぢやうじん) 曰(いは)く、

「四體(したい) 勤(つか)れず、五榖(ごこく) 分(わ)かたず、孰(たれ)か夫子(ふうし)と爲(な)すや。」

と。其(そ)の杖(つゑ)を植(た)てて芸(くさぎ)る。子路(しろ) 拱(きよう)して立(た)つ。子路(しろ)を止(とど)めて宿(やど)り、雞(にはとり)を殺(ころ)して黍(きび)を爲(つく)りて、之(これ)を食(く)らひ、其(そ)の二子(にし)を見(み)る。明(あ)くる日(ひ)、子路(しろ) 行(ゆ)きて以(もつ)て告(つ)ぐ。子(し) 曰(いは)く、

「仕(つか)へざれば義(ぎ) 無(な)し。長幼(ちやうえう)の節(せつ)、廢(はい)すべからざるなり。君臣(くんしん)の義(ぎ)、之(これ)を如何(いかん)せん。其(そ)れ之(これ)を廢(はい)せんや。其(そ)の身(み)を潔(きよ)くせんと欲(ほつ)して、大倫(たいりん)を亂(みだ)る。君子(くんし)の仕(つか)ふるや、其(そ)の義(ぎ)を行(おこな)ふなり。道(みち)の行(おこな)はれざるや、已(すで)に之(これ)を知(し)れり。」

「體」の新字体は「体」、「雞」の新遺体は「鶏」、「廢」の新字体は「廃」、「亂」の新字体は「乱」
「從(したが)ひ」の新仮名遣いは「從(したが)い」
「杖(つゑ)」の新仮名遣いは「杖(つえ)」
「荷(にな)ふ」の新仮名遣いは「荷(にな)う」
「遇(あ)ふ」の新仮名遣いは「遇(あ)う」
「問(と)ひ」の新仮名遣いは「問(と)い」
「食(く)らひ」の新仮名遣いは「食(く)らい」
「仕(つか)へ」の新仮名遣いは「仕(つか)え」
「幼(えう)」の新仮名遣いは「幼(よう)」
「仕(つか)ふる」の新仮名遣いは「仕(つか)うる」
「行(おこな)はれ」の新仮名遣いは「行(おこな)われ」

☆現代語訳:

孔子(こうし)の門人の子路(しろ)は、孔子(こうし)に従って行くうちに遅れてしまい、丈人(じょうじん:老人や年長者の、尊くて威厳のある人)が杖を使って蓧(あじか)という土を運ぶための竹の器を背負っている所に出遭いました。そこで子路(しろ)はこの丈人(じょうじん)に尋ねました。

「あなたは先生(孔子(こうし))を見かけませんでしたか。」

と、するとこの丈人(じょうじん)は言いました。

「身体を労働で疲れさせず、五種類の穀物の区別も付かない、そんな人を誰が先生と言うのですか。」

と。そしてその杖を立てて草を刈っていました。子路(しろ)は(この人はただ者では無いと思い、)手を組み合わせ(て丈人(じょうじん)への礼儀を示し)て立っていました。丈人(じょうじん)は鶏を殺して黍を調理してそれらを食べて、その丈人(じょうじん)の二人の子供を見ました。子路(しろ)は出発してこの丈人(じょうじん)のことを先生(孔子(こうし))に告げました。先生(孔子(こうし))は言いました。

「その丈人(じょうじん)は隠者(いんじゃ:世を避けて隠れている人)ですね。」

と。そこで子路(しろ)を遣わして戻ってその丈人(じょうじん)に会おうとしました。到着した時には、その丈人(じょうじん)はどこかへ行ってしまいました。子路(しろ)は(孔子(こうし)から丈人(じょうじん)伝えるように言われた言葉を)言いました。

「官職に仕えることをしなければ、世の中の筋道(君主と臣下の間の筋道)がありません。(あなたの二人の子供の間にあるように)年上と年下の序列というものは、廃することの出来ないものです。その上で君主と臣下の間の筋道をどうするというのですか。そもそもこれを廃するつもりなのですか。あなたは自分の身を(官職の)汚れから清くしようと思って、世の中の履み行うべき大きな道を乱しているのです。修養に優れた君子が君主に仕えるのは、そんな世の中の筋道を行うためなのです。(自分の身の汚れだけを心配するようなことは無いのです。)そもそも世の中でもう道が行われていないのは、すでに私も知っている所です。(行われないからといって、そのまま廃するようでは、本当に良いのでしょうか。)」と。


この丈人(じょうじん)は、孔子(こうし)の門人の子路(しろ)でさえもその言葉や態度に尊敬の念を持ったわけですから、まさしく丈人(じょうじん:老人や年長者の、尊くて威厳のある人)の名にふさわしいと言えます。

更にこの師(し)の卦の爻辞(こうじ)を解説した彖伝(たんでん)には次のように述べています。

★原文:

彖曰、師、眾也。貞、正也。能以眾正、可以王矣。剛中而應、行險而順。以此毒天下而民從之、吉、又何咎矣。

★書き下し文:

彖(たん)に曰(いは)く、師(し)、眾(しゆう)なり。貞(てい)、正(せい)なり。能(よ)く眾(しゆう)を以(もつ)て正(ただ)し、以(もつ)て王(わう)たるべし。剛中(がうちゆう)にして應(おう)じ、險(けん)を行(おこな)ひて順(したが)ふ。此(ここ)を以(もつ)て天下(てんか)を毒(をさ)めて民(たみ) 之(これ)に從(したが)へば、吉(きち)にして、又(また) 何(なん)の咎(とが)あらん。

「應」の新字体は「応」、「險」の新字体は「険」
「王(わう)」の新仮名遣いは「王(おう)」
「順(したが)ふ」の新仮名遣いは「順(したが)う」
「毒(をさ)め」の新仮名遣いは「毒(おさ)め」

「毒(どく)」は、ここでは「治(おさ)める」のいみです。これは、苦い薬を飲ませるようにして治めるということです。

★現代語訳:

彖伝(たんでん)には次のように述べています。師(し)とは衆(しゅう)、つまり民衆を指していて(当時、兵卒は民衆を徴用して集めたものだからです。)、貞(てい)は正(せい)、つまり正しい気持ちを堅く執り守ることを指しています。良く民衆に正しい気持ちを固く執り守らせる(民衆を正す)ことによって、王となることが出来るのです。(九二の爻(こう)(下から二番目の陽の爻(こう))は)剛中(ごうちゅう:果断で物事の両極端を避けて正しい位置にいる中庸(ちゅうよう)の徳を持つ)にして、他の五つの爻(こう)が九二に応じ、そのようにして、険しい所を行く時に、道理と九二の丈人(じょうじん:老人や年長者の、尊くて威厳のある人)に従うのです。このようにして天下を苦い薬を飲ませるようにして治めて、民衆がそれに従うというのは、吉にして、また何の咎めがあるというのでしょうか(咎めを免れるのです)。


丈人(じょうじん)は民衆(更には兵卒)を苦い薬を飲ませるように、良く民衆に正しい気持ちを執り守らせることが大切だと述べていますが、そのためには丈人(じょうじん)自身も剛中(ごうちゅう:果断で物事の両極端を避けて正しい位置にいる中庸(ちゅうよう)の徳を持つ)である必要があるのです。威厳とは人に厳しくすることで得られるものでは無く、自分の身を修めることによって得られるものなのです。

以上より、先ほどの『韓非子(かんぴし)』の一節の現代語訳は、次のようになります。

○現代語訳:

千丈(一丈は十尺、当時(春秋戦国時代)は、一丈は約 2m25cm )もの長さの堤防も、螻(けら)や蟻(あり)の空けた小さな穴によって決壊するのです。百尺(一尺は十寸、当時(春秋戦国時代)は、一尺は約 22.5cm )もの広さの部屋も、煙突の隙間から煙が出るような小さな火が燃え広がることで焼け落ちてしまうのです。ですから、富豪で(魏(ぎ)の国の大臣として)治水事業を担当した白圭(はっけい)が堤防を行くときに、その小さな穴を塞ぎ、丈人(じょうじん:老人や年長者の、尊く威厳のある人)が火を慎む様子は、あらかじめこのような隙間を塗り固めて、煙が出てそこから燃え広がらないようにするのです。このことによって白圭(はっけい)は(堤防が決壊するという)水の災難が無く、丈人(じょうじん)は(部屋が焼け落ちるという)火の心配事が無いのです。これは皆、(問題が未だ大きくなくて)容易く問題を解決できるときに慎んできちんと解決しておいて難を避け、問題が細かい時に慎み敬って遠きを計る人達なのです。

となります。これを元に、先ほどの南宋(なんそう)の林希逸(りんきいつ)の註釈は、次のような現代語訳になります。

■現代語訳:

水はこの上なく弱いもので、それでありながら良く堅くて強いものを攻めることが出来るのです。世の中にまだ良くこれ(水)に勝つものがいないのは、千金の大金を使って作った堤防も、蟻の空けた小さな穴から水が漏れることによって壊れてしまうからです。これは、弱いものが強いものに勝つというものの中で、水に代わるものがいないということなのです。ですからそれ(水)がこの弱いものが強いものに勝つという性質を変えないからなのです。


両者の註釈から言えることは、水としての性質は千金もの大金を使って作った堤防を、蟻の空けた小さな穴から水が漏れることによって壊れてしまうように、堅くて強いものに勝つという性質があるということです。


次です。

「弱(じやく)の彊(きやう)に勝(か)ち、柔(じう)の剛(がう)に勝(か)つは、天下(てんか) 知(し)らざる莫(な)くして、能(よ)く行(おこな)ふこと莫(な)し。」

「弱之勝彊、柔之勝剛」は順番が逆のもの(「柔之勝剛、弱之勝彊」)もありますが、これは魏(ぎ)の王弼(おうひつ)の本文に倣って、「弱之勝彊、柔之勝剛」としています。

この部分の現代語訳は、「弱々しいものが強いものに勝つこと、周囲と調和するものが堅いもの(自分の思うままに行動しようとするもの)に勝つということは、天下に知らない人はいないけれども、それを良く行なうことが無いのです。」となります。

知っているけれど行えない、大切なことでもなかなか行うことは出来ない、ということはよくあることです。その上で、昔の人がどのように行ってきたかということを、もう少し掘り下げてみることにします。

ここは、元(げん)の何心山(かしんざん)が註釈で引用した、『列子(れっし)』の巻二・「黄帝(こうてい)第二」の篇の一節にも述べられています。次の一節です。

■原文:

天下有常勝之道、有不常勝之道。常勝之道曰柔、不常勝之道曰彊。二者亦知、而人未之知。故上古之言、彊、先不己若者。柔、先出於己者。先不己若者、至於若己、則殆矣。先出於己者、亡所殆矣。以此勝一身若從、以任天下若徒、謂不勝而自勝、不任而自任也。


■書き下し文:

天下(てんか) 常(つね)に勝(か)つの道(みち) 有(あ)りて、常(つね)には勝(か)たざるの道(みち) 有(あ)り。常(つね)に勝(か)つの道(みち)を柔(じう)と曰(い)ひ、常(つね)には勝(か)たざるの道(みち)を彊(きやう)と曰(い)ふ。二者(にしや) 亦(また) 知(し)るも、而(しか)れども人(ひと) 未(いま)だ之(これ)を知(し)らず。故(ゆゑ)に上古(じやうこ)の言(げん)、彊(きやう)は、己(おのれ)に若(し)かざる者(もの)に先(さき)んずるなり。柔(じう)は、己(おのれ)より出(い)づる者(もの)に先(さき)んずるなり。己(おのれ)に若(し)かざる者(もの)に先(さき)んずるは、己(おのれ)に若(し)くに至(いた)れば、則(すなは)ち殆(あや)ふし。己(おのれ)より出(い)づる者(もの)に先(さき)んずるは、殆(あや)ふき所(ところ) 亡(な)し。此(ここ)を以(もつ)て一身(いつしん)に勝(か)つこと徒(と)の若(ごと)くにして、天下(てんか)に任(にん)ずるを以(もつ)て徒(と)の若(ごと)くなるを、勝(か)たずして自(みづか)ら勝(か)つ、任(にん)ぜずして自(みづか)ら任(にん)ずと謂(い)ふ。

「上(じやう)」の新仮名遣いは「上(じよう)」
「曰(い)ひ」の新仮名遣いは「曰(い)い」
「曰(い)ふ」の新仮名遣いは「曰(い)う」
「出(い)づ」の新仮名遣いは「出(い)ず」
「殆(あや)ふし」の新仮名遣いは「殆(あや)うし」
「殆(あや)ふき」の新仮名遣いは「殆(あや)うき」
「自(みづか)ら」の新仮名遣いは「自(みずか)ら」

※「不常勝之道曰彊」は、元の本文では「常不勝之道曰彊」となっていて、上の文の「有不常勝之道」と合致しません。このことによって「不常勝」と「常不勝」が混在してしまっています。これに対して清(しん)の陶鴻慶(とうこうけい)の註釈では、どちらも「常不勝」にするようにとありますが(「不常勝」當作「常不勝」(「常(つね)には勝(か)たず」は当(當)(まさ)に「常(つね)に勝(か)たず」と作(つく)るべし))、それでは「常に勝たない道を強(彊)(きょう)と言います。」となり、その後の文では「彊、先不己若者。(彊(きやう)は、己(おのれ)に若(し)かざる者(もの)に先(さき)んずるなり。)」、つまり「強(彊)(きょう)とは、自分に及ばないものに上回ることです。」とあり、次に、「先不己若者、至於若己、則殆矣。(己(おのれ)に若(し)かざる者(もの)に先(さき)んずるは、己(おのれ)に若(し)くに至(いた)れば、則(すなわ(すなは))ち殆(あや)ふし。)」、つまり、「自分に及ばないものに上回るのは、相手が自分に匹敵するようになれば、それで危ういことになるのです」とあります。常に勝つことが無いならば、「危うい」どころの話ではなくなってしまいます。ここから、明治書院の「新釈漢文大系(しんしゃくかんぶんたいけい)」の『列子(れっし)』の註釈と同様に、「常不勝(常(つね)に勝(か)たず)」つまり「常に勝たない」は「不常勝(常(つね)には勝(か)たず)」と読むことにします。そしてこの部分の現代語訳は、「必ずしも勝つわけでは無い」とします。

■現代語訳:

天下には常に勝つ道があり、必ずしも勝つわけでは無い道があります。常に勝つ道を「柔(じゅう)」と言い、必ずしも勝つわけでは無い道を「強(彊)(きょう)」と言います。両者は良く知られていますが、人はこれを未だ(本当には)知らないのです。ですから、大昔の言葉に(「柔(じゅう)」と「強(彊)(きょう)」を更に説明する言葉として)、「強(彊)(きょう)は自分に及ばないものに上回ることです。柔(じゅう)は(相手を押しのけて自分の思い通りにしたいという欲望などの)自分から出ているものに上回ることです。」とあるのです。自分の及ばないものに上回るのは、相手が自分に匹敵するようになれば、それで危ういことになるのです。(相手を押しのけて自分の思い通りにしたいと言う欲望などの)自分から出ているものに上回るようになれば、それは危うい所が無いのです。このことより、自分の一つの身に勝つことが仲間のように容易になり、天下の役目を引き受ける(誰もしたがらないような謙虚な態度で過ごす)ことが仲間のように容易になることを、「勝とうと思わなくても(自分に勝つことで)勝つようになり、大きな役目を引き受けようとしなくても、(自分から誰もしたがらないような謙虚な態度で過ごすことで)大きな役目を引き受けるようになる」と言うのです。


つまり、自分の及ばないものに上回る「強(彊)(きょう)」は、自分に匹敵するものが相手だとどちらが勝つか分からなくなるのに対し、(相手を押しのけて自分の思い通りにしたいという欲望などの)自分から出ているものに上回る「柔(じゅう)」は、自分の敵として出て来るのは自分自身の欲望などですから、自分以外の相手のように自分では完全に制御出来ないということは無いので、そこで何とか勝つことが出来れば危ういことにはならないということです。いつまでも誰よりも強いということはありえませんが、自分自身の欲望などに勝つことは、常に同様の困難さはありながらも、可能であるということです。そうして自分に勝って周囲と調和して過ごし、誰もしたがらないような謙虚な態度で過ごすことが出来れば、そのような人とは争う人がいなくなるために、危ういことにならず、相手に勝つということになるのです。

更に元(げん)の何心山(かしんざん)の註釈には、次のように述べています。

■原文:

黃石公授子房、亦惟柔勝剛弱勝kyou.png兩言耳。

■書き下し文:

黃石公(くわうせきこう)の子房(しばう)に授(さづ)くるは、亦(また) 惟(ただ) 柔(じう)は剛(がう)に勝(か)ち弱(じやく)はkyou.png(きやう)に勝(か)つの兩言(りやうげん)のみ。

「黃」の新字体は「黄」、「兩」の新字体は「両」
「黃(くわう)」の新仮名遣いは「黃(こう)」
「房(ばう)」の新仮名遣いは「房(ぼう)」
「兩(りやう)」の新仮名遣いは「兩(りよう)」

「子房(しぼう(しばう))」とは、漢(かん)の劉邦(りゅうほう)の参謀である張良(ちょうりょう)の字(あざな:成人になった時に付けられる名)のことです。

「黄石公(こうせきこう(くわうせきこう))」という老人は、張良(ちょうりょう)が怪力の力士と力を合わせて秦(しん)の始皇帝(しこうてい)を倒そうとして失敗して逃亡中の時に、兵法書の『六韜(りくとう)』を授けたという逸話があります。その兵法書の中に、先ほどの『老子』の本文の部分のポイントが述べられているというものです。

■現代語訳:

黄石公(こうせきこう)という老人が子房(しぼう:つまり張良(ちょうりょう)の字(あざな))に授けたのは、同様にただ柔は剛に勝ち、弱は強に勝つという二つの言葉だけなのです。


実際に、『六韜(りくとう)』の本文を見て見ますと、その中の「文韜(ぶんとう)」の巻の「兵道(へいどう)第十二」の篇の一節には、次のように述べています。

○原文:

武王問、「兩軍相遇、彼不可來、此不可往、未敢先發。我欲襲之、不得其利、爲之柰何。」


太公曰、「外亂而内整、示饑而實飽、内精而外鈍。一合一離、一聚一散。陰其謀、密其機、髙其壘、伏其鋭士。寂若無聲、敵不知我備。欲其西、襲其東。」

○書き下し文:

武王(ぶわう) 問(と)ふ、

「兩軍(りやうぐん) 相(あひ) 遇(あ)ひ、彼(かれ) 來(く)るべからず、此(これ) 往(ゆ)くべからず、未(いま)だ敢(あ)へて先(さき)に發(はつ)せず。我(われ) 之(これ)を襲(おそ)はんと欲(ほつ)するも、其(そ)の利(り)を得(え)ず、之(これ)を爲(な)すこと柰何(いかん)。」

と。太公(たいこう) 曰(いは)く、

「外(そと) 亂(みだ)るるも内(うち) 整(ととの)ひ、饑(う)うるを示(しめ)すも實(じつ)は飽(あ)き、内(うち) 精(せい)なるも外(そと) 鈍(にぶ)し。一(ひと)たび合(あ)ひて一(ひと)たび離(はな)れ、一(ひと)たび聚(あつ)まりて一(ひと)たび散(さん)ず。其(そ)の謀(はかりごと)を陰(おほ)ひ、其(そ)の機(き)を密(みつ)にし、其(そ)の壘(るい)を髙(たか)くし、其(そ)の鋭士(えいし)を伏(ふ)す。寂(じやく)なること聲(こゑ) 無(な)きが若(ごと)くにして、敵(てき) 我(わ)が備(そな)へを知(し)らず。其(そ)の西(せい)せんと欲(ほつ)せば、其(そ)の東(ひがし)を襲(おそ)ふ。」

「來」の新字体は「来」、「發」の新字体は「発」、「柰」の新字体は「奈」、「實」の新字体は「実」、「精」の新字体は「精」、「壘」の新字体は「塁」、「髙」の新字体は「高」、「聲」の新字体は「声」
「問(と)ふ」の新仮名遣いは「問(と)う」
「相(あひ)」の新仮名遣いは「相(あい)」
「遇(あ)ひ」の新仮名遣いは「遇(あ)い」
「敢(あ)へて」の新仮名遣いは「敢(あ)えて」
「襲(おそ)はんと」の新仮名遣いは「襲(おそ)わんと」
「整(ととの)ひ」の新仮名遣いは「整(ととの)い」
「合(あ)ひ」の新仮名遣いは「合(あ)い」
「陰(おほ)ひ」の新仮名遣いは「陰(おお)い」
「聲(こゑ)」の新仮名遣いは「聲(こえ)」
「備(そな)へ」の新仮名遣いは「備(そな)え」
「襲(おそ)ふ」の新仮名遣いは「襲(おそ)う」

○現代語訳:

周(しゅう)の武王(ぶおう)は太公(たいこう:太公望(たいこうぼう))に次のように質問しました。

「両軍がお互いに遭遇し、あちらは来ることが出来ず、こちらは行くことが出来ず、未だ思い切って先に仕掛けない状況であったとします。私はこのような敵を襲撃しようと思っても、そんな相手を攻めるだけの有利さが無いわけです。このような状況下で相手を攻めるにはどうすれば良いでしょうか。」

と。太公(たいこう:太公望(たいこうぼう))は次のように言いました。

「外部には軍勢の乱れた様子を示しながらも、実際には内部は整然としていて、軍隊が飢えたような様子を示しても、実際には満腹であって、軍の内部は精鋭がいながらも、外部には鈍い様子を示すのです。

(実際には軍備をきちんとしていながら、外部には軍備が整っていないように見せて、敵に襲撃の好機と思わせて誘い込むのです。)

一度敵と当たって一度敵から離れ、一度軍隊を集合させて一度軍隊を散開させる、というように軍隊が自在に動けるようにして、自分のはかりごとを外部に隠し、重要な事柄を秘密にし、塞の土を髙く重ねて、自軍の精鋭の戦士を伏兵として隠しておくのです。自軍の様子はまるで音や声が無いかのように静かであり、敵は自軍の軍備の様子を知らないのです。そうした状況の中で、敵が西へ向かおうとすれば、その敵の東側を攻撃するのです。」

と。


つまり、自軍の軍備をきちんと整えた上でその様子を外部に隠して敵の油断を誘って誘き出し、敵の状況を把握して弱い所を攻めるのです。自軍の状況を弱々しいものと見せて、敵に戦いを思いのままに出来ると思い込ませる、この部分が大切だということです。


次です。

「是(ここ)を以(もつ)て聖人(せいじん) 云(い)へらく、『國(くに)の垢(あか)を受(う)く、是(これ)を社稷(しやしよく)の主(あるじ)と謂(い)ふ。國(くに)の不祥(ふしやう)を受(う)く、是(これ)を天下(てんか)の王(わう)と謂(い)ふ。』と。」

「社稷(しやしよく)(小書き文字を使うと「しゃしょく」)」とは、土地の神(社(しゃ))と五穀(ごこく)の神(稷(しょく))のことで、国を意味します。

この部分の現代語訳は、

「このことによって、知恵と徳に優れた聖人は、次のように言うのです。『国の垢を引き受けるようなものこそが、これを社稷(しゃしょく:国(くに))の主と言うのです。国の不祥を引き受けるようなものこそが、これを天下の王と言うのです。』と。

つまり、高い所にいながら身を低くして過ごす、高みを目指して努力しながら、身を低くして謙虚に過ごす、そのような姿勢で過ごすような人こそ、国や天下を治める王にふさわしい、という事です。」

となります。まず、この部分を理解するために、「謙譲の徳」というものを改めて考えてみようと思います。旧ブログの第八章の「上善(じょうぜん)水(みず)若(ごと)し」の所でも述べていた、元(げん)の呉澄(ごちょう)の註釈が、謙譲の徳の意味を理解する上で重要でした。もう一度取り上げることにします。

■原文:

夫惟有道者之上善、不爭於上、而甘於處下、有似於水、故人無尤之者。尤、謂怨咎。

■書き下し文:

夫(そ)れ惟(ただ) 有道者(いうだうしや)のみ上善(じやうぜん)なるは、爭(あらそ)はずして上(うへ)に處(を)り、甘(あま)んじて下(した)に處(を)り、水(みづ)に似(に)たる有(あ)り。故(ゆゑ)に人(ひと) 之(これ)を尤(とが)むる無(な)き者(もの)なり。尤(いう)は、怨咎(えんきう)を謂(い)ふ。

「有(いう)」の新仮名遣いは「有(ゆう)」
「道(だう)」の新仮名遣いは「道(どう)」
「上(じやう)」の新仮名遣いは「上(じよう)」
「尤(いう)」の新仮名遣いは「尤(ゆう)」
「怨(ゑん)」の新仮名遣いは「怨(えん)」
「咎(きう)」の新仮名遣いは「咎(きゆう)」

■現代語訳:

そもそもただ(謙譲の)徳を身に付けた者だけがこの上ない善を身に付けているとされるのは、人と争うこと無く高い地位や実績のある位置にいながら、甘んじて身を低くして過ごしていくことから、それは雲の上から雨が降り、その水がやがては海に泳いでいく、そんな姿に似ているのです。ですから人は、その謙譲の徳を身に付けた者を咎め立てすることは無いのです。「尤(ゆう)」とは、怨んだり咎め立てしたりすることを言うのです。


つまり、空の上に在る雲から雨が降り、その水が低い海に流れていくように、本来高い所にいるべき聖人が謙って身を低くして過ごすことで、その人を咎め立てすることが無くなるということです。この部分は高みを目指して努力することと、謙って身を低くして過ごすことの大切さを教えてくれる部分です。


更に、この部分は、元(げん)の呉澄(ごちょう)の註釈では、次のように述べています。

■原文:

垢、汚穢也。不祥、不吉善、人所恥。賤以爲卑辱。聖人則不然。雖一國、以汚穢不吉善之名歸之、已皆受之而不辭。蓋能柔弱、甘以卑辱自處、非如剛kyou.png之人、欲以尊榮上人也。然神所欲歆享而可以主社稷、民所嚮往而可以王天下。剛kyou.png者、神怒民叛而失國失天下。柔弱者、神祐民附而有國有天下。此柔弱勝剛kyou.png之效也。

■書き下し文:

垢(あか)、汚穢(をわい)なり。不祥(ふしやう)、吉善(きちぜん)ならざるなり。吉善(きちぜん)ならざるは、人(ひと)の恥(は)づる所(ところ)なり。賤(いや)しきは、以(もつ)て卑辱(ひじよく)と爲(な)す。聖人(せいじん)は則(すなは)ち然(しか)らず。一國(いつこく)の、汚穢(をわい)にして吉善(きちぜん)ならざるの名(な)を以(もつ)て之(これ)に歸(き)すると雖(いへど)も、已(すで)に皆(みな) 之(これ)を受(う)けて辭(じ)せず。蓋(けだ)し能(よ)く柔弱(じうじやく)なれば、甘(あま)んじて卑辱(ひじよく)を以(もつ)て自(みづか)ら處(を)り、剛kyou.png(がうきやう)の人(ひと)の如(ごと)く、尊榮(そんえい)を以(もつ)て人(ひと)に上(うへ)たるを欲(ほつ)せざるなり。然(しか)るに神(かみ)の歆(う)くる所(ところ)を享(う)けて而(しかう)して以(もつ)て社稷(しやしよく)に主(あるじ)たるべし、民(たみ)の嚮(む)かふ所(ところ)に往(ゆ)きて而(しかう)して以(もつ)て天下(てんか)に王(わう)たるべし。剛kyou.png(がうきやう)なる者(もの)は、神(かみ) 怒(いか)り民(たみ) 叛(そむ)きて而(しかう)して國(くに)を失(うしな)ひ天下(てんか)を失(うしな)ふ。柔弱(じうじやく)なる者(もの)は、神(かみ) 祐(たす)け民(たみ) 附(つ)きて而(しかう)して國(くに)を有(たも)ち天下(てんか)を有(たも)つ。此(これ) 柔弱(じうじやく) 剛kyou.png(がうきやう)に勝(か)つの效(かう)なり。

「歸」の新字体は「帰」、「辭」の新字体は「辞」、「榮」の新字体は「栄」、「神」の新字体は「神」、「效」の新字体は「効」
「汚(を)」の新仮名遣いは「汚(お)」
「祥(しやう)」の新仮名遣いは「祥(しよう)」
「恥(は)づ」の新仮名遣いは「恥(は)ず」
「處(を)り」の新仮名遣いは「處(お)り」
「上(うへ)」の新仮名遣いは「上(うえ)」
「嚮(む)かふ」の新仮名遣いは「嚮(む)かう」
「失(うしな)ひ」の新仮名遣いは「失(うしな)い」
「失(うしな)ふ」の新仮名遣いは「失(うしな)う」
「效(かう)」の新仮名遣いは「效(こう)」

■現代語訳:

垢(あか)とは汚穢(おわい:汚れ)ということです。不祥(ふしょう)とは、良くないということです。良くないということは、人が恥ずかしいと思う所であり、賤しい(身分が低い)ということは、卑しくて恥ずかしいものとみなしています。知恵と徳に優れた聖人は、そうではないのです。一つの国に、汚れて良くないという評判があったとしても、その国を統治する地位を受けたとすれば、既に皆、その地位を受けて断ることは無いのです。

そもそも良く柔弱(人との調和を大切にして過ごす)な人だけが、甘んじて卑しく恥ずかしい所(大切でありながら人が賤しいと思って行わない謙譲の振る舞い)に自分の身を置いて、剛強(果断で、自分の思うままに物事を行おうとする)な人のように、尊く華々しい地位に自分の身を置いて、人よりも上の立場に立とうとしないのです。ですから神の受ける所(汚れなど)を受けることによって、社稷(国)に主となることが出来、民衆の向かう所(卑しい所、人が避けて通る謙譲の振る舞い)に行くことにより、天下に王となることが出来るのです。

剛強(ごうきょう)というのは、神は怒り、民衆は背き、そして国を失い天下を失うのです。柔弱(じゅうじゃく)というものは、神はその人を助け、民衆はその人に懐き従い、そして国を保ち天下を保つことが出来るのです。これは、柔弱(じゅうじゃく)が剛強(ごうきょう)に勝つという功績なのです。


つまり、低い所にいる海の水が汚れを引き受けるように、高みにいるはずの聖人が、人との調和を大切にして、謙譲の振る舞いで身を低くして過ごす、このことこそが、「国の垢を引き受ける(国の汚れを引き受ける)」、「国の不祥を引き受ける(国の良くない所を引き受ける)」ということを指しているのです。そのことによって神はその聖人を助け、民衆はその聖人に懐き従う、このことが「国を保ち天下を保つ」ことに繋がるということを指しているのです。

更に、この部分の実例として、明(みん)の薛蕙(せつけい)が註釈で取り上げた史実は、『漢書(かんじょ:又は『前漢書(ぜんかんじょ)』)』の巻九十四上・「匈奴伝(きょうどでん)第六十四上」の篇の一節です。次のようなものです。

■原文:

孝惠、髙后時、冒頓寖驕。迺爲書使使遺髙后曰、「孤僨之君、生於沮澤之中、長於平野牛馬之域。數至邊境、願遊中國。陛下獨立、孤僨獨居。兩主不樂、無以自虞。願以所有易以所無。」髙后大怒、召丞相平及樊噲季布等、議斬其使者、發兵而擊之。樊噲曰、「臣願得十萬眾、橫行匈奴中。」問季布。布曰、「噲可斬也。前陳豨反於代、漢兵三十二萬、噲爲上將軍。時匈奴圍髙帝於平城、噲不能解圍。天下歌之曰、『平城之下亦誠苦、七日不食、不能彀弩。』今歌唫之聲未絶、傷痍者甫起。而噲欲搖動天下、妄言以十萬眾橫行、是面謾也。且夷狄譬禽獸。得其言不足善、惡言不足怒也。」髙后曰、「善。」令大謁者張澤報書曰、「單于不忘弊邑、賜之以書。弊邑恐懼、退日自圖。年老氣衰、髮齒墮落、行步失度。單于過聽不足以自汙。弊邑無罪、宜在見赦。竊有御車二乘、馬二駟、以奉常駕。」冒頓得書、復使使來謝曰、「未嘗聽中國禮義、陛下幸而赦之。」因獻馬、遂和親。

■書き下し文:

孝惠(かうけい)、髙后(かうこう)の時(とき)、冒頓(ぼくとつ) 寖(やうや)く驕(おご)る。迺(すなは)ち書(しよ)を爲(な)して使(つか)ひをして髙后(かうこう)に遺(おく)らしめて曰(いは)く、

「孤僨(こふん)の君(くん)、沮澤(そたく)の中(うち)に生(う)まれ、平野(へいや) 牛馬(ぎうば)の域(ゐき)に長(ちやう)ず。數(しばしば) 邊境(へんきやう)に至(いた)りて、願(ねが)はくは中國(ちゆうごく)に遊(あそ)ばん。陛下(へいか) 獨立(どくりつ)し、孤僨(こふん) 獨居(どくきよ)す。兩主(りやうしゆ) 樂(たの)しまず、以(もつ)て虞(たの)しむこと無(な)し。願(ねが)はくは有(あ)る所(ところ)を以(もつ)て無(な)き所(ところ)を易(か)へん。」

と。髙后(かうこう) 大(おほ)いに怒(いか)り、丞相(じやうしよう) 平(へい) 及(およ)び樊噲(はんくわい) 季布(きふ)らを召(め)して、その使者(ししや)を斬(き)りて兵(へい)を發(はつ)して之(これ)を擊(う)つを議(ぎ)す。樊噲(はんくわい) 曰(いは)く、

「臣(しん) 願(ねが)はくは十萬(じふまん)の眾(しゆう)を得(え)て、匈奴(きようど)の中(うち)を橫行(わうかう)せん。」

と、季布(きふ)に問(と)ふ。布(ふ) 曰(いは)く、

「噲(くわい) 斬(き)るべきなり。前(さき)に陳豨(ちんき) 代(だい)に反(そむ)き、漢兵(かんぺい) 三十二萬(さんじふにまん)、噲(くわい) 上將軍(じやうしやうぐん)なり。時(とき)に匈奴(きようど) 髙帝(かうてい)を平城(へいじやう)に圍(かこ)み、噲(くわい) 圍(かこ)みを解(と)くべからず。天下(てんか) 之(これ)を歌(うた)ひて曰(いは)く、

『平城(へいじやう)の下(もと) 亦(また) 誠(まこと)に苦(くる)し。七日(なのか) 食(く)らはず、彀弩(かくど)する能(あた)はず。』

と。今(いま) 歌唫(かぎん)の聲(こゑ) 未(いま)だ絶(た)えず、傷痍者(しやういしや)、甫(はじ)めて起(お)こる。而(しか)れども噲(くわい) 天下(てんか)を搖動(えうどう)せんと欲(ほつ)し、十萬(じふまん)の眾(しゆう)を以(もつ)て橫行(わうかう)すと妄言(ばうげん)するは、是(これ) 面謾(めんまん)なり。且(か)つ夷狄(いてき)は譬(たと)ふれば禽獸(きんじう)の如(ごと)し。其(そ)の善言(ぜんげん)を得(う)るも喜(よろこ)ぶに足らず、惡言(あくげん)も怒(いか)るに足(た)らざるなり。」

と。髙后(かうこう) 曰(いは)く、

「善(よ)し。」

と。大謁者(たいえつしや) 張澤(ちやうたく)をして報書(はうしよ)せしめて曰(いは)く、

「單于(ぜんう) 弊邑(へいいふ)を忘(わす)れず、之(これ)に賜(たま)ふに書(しよ)を以(もつ)てす。弊邑(へいいふ) 恐懼(きようく)し、日(ひ)に退(しりぞ)くこと自(みづか)ら圖(はか)る。年(とし) 老(を)ひて氣(き) 衰(おとろ)へ、髮齒(はつし) 墮落(だらく)し、行步(かうほ) 度(ど)を失(うしな)ふ。單于(ぜんう) 聽(き)くを過(あやま)つは以(もつ)て自(みづか)ら汙(けが)すに足(た)らず。弊邑(へいいふ) 罪(つみ) 無(な)し、宜(よろ)しく赦(ゆる)さるる在(あ)るべし。竊(ひそ)かに車(くるま) 二乘(にじやう)、馬(うま) 二駟(にし)を御(ぎょ)する有(あ)り、以(もつ)て常駕(じやうが)に奉(ほう)ぜん。」

と。冒頓(ぼくとつ) 書(しよ)を得(え)て、復(また) 使(つか)ひをして來(きた)らしめて謝(しや)して曰(いは)く、

「未(いま)だ嘗(かつ)て中國(ちゆうごく)の禮義(れいぎ)を知らず、陛下(へいか) 幸(さいは)ひにして之(これ)を赦(ゆる)す。」

と。因(よ)りて馬(うま)を獻(けん)じ、遂(つひ)に和親(わしん)す。


「惠」の新字体は「恵」、「澤」の新字体は「沢」、「數」の新字体は「数」、「邊」の新字体は「辺」、「獨」の新字体は「独」、「樂」の新字体は「楽」、「發」の新字体は「発」、「擊」の新字体は「撃」、「橫」の新仮名遣いは「横」、「將」の新字体は「将」、「圍」の新字体は「囲」、「搖」の新字体は「揺」、「獸」の新字体は「獣」、「惡」の新字体は「悪」、「單」の新字体は「単」、「圖」の新字体は「図」、「氣」の新字体は「気」、「髮」の新字体は「髪」、「齒」の新字体は「歯」、「步」の新字体は「歩」、「聽」の新字体は「聴」、「竊」の新字体は「窃」、「乘」の新字体は「乗」、「禮」の新字体は「礼」、「獻」の新字体は「献」
「孝(かう)」の新仮名遣いは「孝(こう)」
「髙(かう)」の新仮名遣いは「髙(こう)」
「寖(やうや)く」の新仮名遣いは「寖(ようや)く」
「迺(すなは)ち」の新仮名遣いは「迺(すなわ)ち」
「使(つか)ひ」の新仮名遣いは「使(つか)い」
「牛(ぎう)」の新仮名遣いは「牛(ぎゆう)」
「域(ゐき)」の新仮名遣いは「域(いき)」
「長(ちやう)ず」の新仮名遣いは「長(ちよう)ず」
「境(きやう)」の新仮名遣いは「境(きよう)」
「願(ねが)はくは」の新仮名遣いは「願(ねが)わくは」
「大(おほ)いに」の新仮名遣いは「大(おお)いに」
「丞(じやう)」の新仮名遣いは「丞(じよう)」
「噲(くわい)」の新仮名遣いは「噲(かい)」
「十(じふ)」の新仮名遣いは「十(じゆう)」
「橫(わう)」の新仮名遣いは「橫(おう)」
「行(かう)」の新仮名遣いは「行(こう)」
「將(しやう)」の新仮名遣いは「將(しよう)」
「城(じよう)」の新仮名遣いは「城(じよう)」
「歌(うた)ひ」の新仮名遣いは「歌(うた)い」
「食(く)らはず」の新仮名遣いは「食(く)らわず」
「能(あた)はず」の新仮名遣いは「能(あた)わず」
「傷(しやう)」の新仮名遣いは「傷(しよう)」
「搖(えう)」の新仮名遣いは「搖(よう)」
「妄(ばう)」の新仮名遣いは「妄(ぼう)」
「譬(たと)ふれば」の新仮名遣いは「譬(たと)うれば」
「獸(じう)」の新仮名遣いは「獸(じゆう)」
「張(ちやう)」の新仮名遣いは「張(ちよう)」
「報(はう)」の新仮名遣いは「報(ほう)」
「邑(いふ)」の新仮名遣いは「邑(ゆう)」
「賜(たま)ふ」の新仮名遣いは「賜(たま)う」
「老(を)ひ」の新仮名遣いは「老(お)い」
「衰(おとろ)へ」の新仮名遣いは「衰(おとろ)え」
「常(じやう)」の新仮名遣いは「常(じよう)」
「幸(さいは)い」の新仮名遣いは「幸(さいわ)い」
「遂(つひ)に」の新仮名遣いは「遂(つい)に」

■現代語訳:

孝恵皇帝(こうけいこうてい:高祖(こうそ)の息子で漢(かん)の二代目皇帝である恵帝(けいてい)の諱(いみな))、高后(こうこう:漢(かん)の高祖(こうそ)の后で恵帝(けいてい)の母、呂后(りょこう))の時、北方の騎馬民族である匈奴(きょうど)の単于(ぜんう:匈奴(きょうど)の王)であった冒頓(ぼくとつ)が次第に驕り高ぶるようになってきました。そして手紙を書いて使いを遣わして高后(こうこう)に贈りました。その文面は、次のようなものでした。

「孤僨(こふん:一人で自立することが出来ない、ということを示し、冒頓(ぼくとつ)の謙譲の表現)の君主である私は、湿った沢地に生まれ、平原の牛や馬のいる中で育ちました。何度も辺境に行き着いている私は、願うことなら中国(ちゅうごく:ここでは文明の中心地という意味で、呂后(りょこう)のいる国土を指します。)で気ままに過ごしてみたいのです。陛下(へいか:呂后(りょこう))はご主人(高祖(こうそ))を亡くされてお一人で至尊の地位におられます。この孤僨(こふん)の君主である私は一人で過ごしています。二人の君主はともに楽しい日々を過ごしておらず、自分で楽しむこともありません。願うことなら有る所(冒頓(ぼくとつ))によって無い所(呂后(りょこう)の亡き夫、高祖(こうそ))を換えることが出来ればと考えています。」

と。高后(呂后(りょこう))はその無礼な内容にとても怒り、丞相(じょうしょう:宰相(さいしょう))の平(へい:陳平(ちんぺい))と樊噲(はんかい)・季布(きふ)らを招き寄せて、匈奴(きょうど)の使者を斬って兵を挙げて匈奴(きょうど)を討伐することを議論しました。すると樊噲(はんかい)は言いました。

「臣下の私めは、願うことなら十万の兵卒を得て、匈奴(きょうど)の地を自由に駆け回ろうと思います。」

と。(更に)季布(きふ)に尋ねました。季布(きふ)は次のように言いました。

「噲(かい:樊噲(はんかい))こそ斬殺すべきです。以前、陳豨(ちんき)が反乱を代(だい:今の山東省北東部)の地で起こした時は、(樊噲(はんかい)が討伐して功績を上げて)漢の兵卒三十二万人がいて、噲(かい:樊噲(はんかい))は上将軍(じょうしょうぐん:総大将)の地位にいました。その時に匈奴(きょうど)は高帝(こうてい:高祖(こうそ))を平城(へいじょう:今の山西省大同市)の地で包囲して、噲(かい:樊噲(はんかい))はその包囲網を突破することが出来ませんでした。天下の人々は、そのことを次のような歌にしました。

『平城(へいじょう)の下で、兵卒たちは苦しい思いをしました。七日の間、何も食べることが出来ず、弩(いしゆみ:ボウガンの一種)の弦を張ることも出来なかったのです。』

と。この歌を吟ずる声がまだ絶えてはいません。その戦いで傷付いた人が初めて起こったのです。そうでありながら、噲(かい:樊噲(はんかい))は、天下を揺り動かそうとして、十万の兵卒によって(匈奴(きょうど)の地を)自由に駆け回るなどとでたらめな言葉を述べるのは、当面の自分を欺くための言葉なのです。

(三十二万で失敗した樊噲(はんかい)が、十万でそのようなことが出来るわけが無いのです。)

それに蛮族どもというものは、喩えるならば、鳥や獣のようなもので、彼らから良い言葉を得ても、喜ぶのに十分では無く、悪い言葉を得ても、腹を立てるのに十分ではないのです。

(我々の流儀に従って、丁重に断れば良いのです。)」

と。高后(こうこう:呂后(りょこう))は言いました。

「よろしい。」

と。大謁者(たいえつしゃ:来客の取次ぎをする官職)の張澤(ちょうたく)に、返事の手紙(匈奴(きょうど)の君主への返事)を持たせました。そこには次のように書いていました。

「単于(ぜんう)は弊邑(へいゆう:壊れた町。自分の領地を謙遜して言う言葉)を忘れることは無く、私に手紙を下さいました。弊邑(へいゆう)にいる私は恐れおののき、日々衰える自分の身に気付かされます。年老いていって活力も衰えてしまい、髪や歯は抜け落ちていき、道を歩くときは、節度を外れて慌てふためく有様です。単于(ぜんう)が私のことを聞き誤ったとしても、あなたが身を汚すには十分ではないのです。

(あなたの罪ではありません。)

弊邑(へいゆう)にいる私にも、罪はありません。どうかお許しの程を。今日は秘かに車二台と馬の二駟(にし:八頭)を御して贈り物として持ってきました。願うことなら普段の乗り物に使って下さい。」

と。冒頓(ぼくとつ)は次のような手紙を得て、また使いの者に来させてお礼を述べて次のように言いました。

「今まで中国の礼義(れいぎ:作法と筋道)を知りませんでした。陛下(へいか:呂后(りょこう))は幸いにもそんな私を許して下さいました。」

と。そして馬を漢(かん)に献上し、遂に匈奴(きょうど)は和睦をしました。


つまり、匈奴(きょうど)の王である冒頓単于(ぼくとつぜんう)の無礼な手紙に対し、呂后(りょこう)は自分の感情のままに怒りと武力で応じること無く、礼を尽くした謙譲と、自分を老婆に見立てるほどに卑下をすることで、冒頓(ぼくとつ)自身の驕りに気付かせて、和睦をすることが出来たということです。

後に呂后(りょこう)は自分の政敵となる可能性のある高祖(こうそ)の庶子(や、その母親)を殺していき、高祖(こうそ)の時代の功臣達の信頼を失っていきます。ですがこの時はまだ呂后(りょこう)もきちんと高祖(こうそ)の時代の功臣達の発言に耳を傾けることが出来たからこそ、こうしたことが可能であったということです。謙って身を低くして過ごすことこそが、国や天下を治めるために大切であるということを示した史実であることが分かります。


次です。

「正言(せいげん) 反(はん)するが若(ごと)し。」

「正言(せいげん)」とは、道理に沿った正しい言葉のことです。

この部分の現代語訳は、「道理に沿った正しい言葉は一見道理に反しているように聴こえますが、これは先ほどのような事を意味しているのです。」となります。

この部分は、明(みん)の薛蕙(せつけい)の註釈には、次のように述べています。

■原文:

正言若反者、世俗之言、但謂受辱者爲庸人。今聖人之言迺如此、聖人之正言、非眞若反也。由世俗之情觀之、卽若反耳。

■書き下し文:

正言(せいげん) 反(はん)するが若(ごと)きとは、世俗(せぞく)の言(げん)、但(ただ) 辱(じよく)を受(う)くる者(もの)を庸人(ようじん)と爲(な)すを謂(い)ふ。今(いま) 聖人(せいじん)の言(げん)、迺(すなは)ち此(か)くの如(ごと)し、聖人(せいじん)の正言(せいげん)、眞(しん)に反(はん)するが若(ごと)きに非(あら)ざるなり。世俗(せぞく)の情(じやう)に由(よ)りて之(これ)を觀(み)れば、卽(すなは)ち反(はん)するが若(ごと)きのみ。

「眞」の新字体は「真」、「卽」の新字体は「即」
「情(じやう)」の新仮名遣いは「情(じよう)」

■現代語訳:

「正言(せいげん) 反(はん)するが若(ごと)し」、道理に沿った正しい言葉は道理に反しているようであるというのは、世間一般では、単に辱めを受ける人を庸人(ようじん:普通の人、凡人)とみなすことを言うのです。今の知恵と徳に優れた聖人の言葉は、つまり今まで述べてきたようなことです。聖人の道理に沿った正しい言葉は、本当に道理に反するようなものでは無いのです。世間一般の心情に基づいてこの言葉をじっくり眺めてみると、つまりは反するようなものであると言っているだけなのです。


つまり、道理に沿った正しい言葉は真に正しいものだけれども、世間一般の心情からすれば、(道理に)反しているようだということです。


道理に沿った正しい言葉に対する、世間一般と聖人の違いを、第八章の謙譲の徳の例で見てみますと、元(げん)の呉澄(ごちょう)の註釈には、次のように述べています(こちらは旧ブログの第八章では述べていない箇所です)。

■原文:

眾人惡處下而好處上、欲上人者、有爭心。有爭、則有尤矣。

■書き下し文:

眾人(しゆうじん)、下(した)に處(を)るを惡(にく)みて上(うへ)に處(を)るを好(この)む。人(ひと)に上(うへ)たらんと欲(ほつ)する者(もの)は、爭心(さうしん) 有(あ)り。爭(あらそ)ふこと有(あ)れば、則(すなは)ち尤(とが)め有(あ)り。

「爭」の新字体は「争」
「爭(さう)」の新仮名遣いは「爭(そう)」
「爭(あらそ)ふ」の新仮名遣いは「爭(あらそ)う」

■現代語訳:

多くの人は、身を低くして過ごすことを嫌って高い地位や実績のある位置にいることを好むものです。人の上に立とうと願う人は人と争う気持ちがあります。人と争うことがあれば、それによって人から咎め立てを受けることがあるのです。


高い地位にいる、或いは高みを目指して努力することは同じでも、身を低くして過ごすことが出来ずに人から咎め立てを受けてしまう、それが多くの人、世間一般の姿だと述べています。高みを目指して努力しながら、身を低くして過ごす、それが聖人の姿であることが改めて分かります。この二つをどちらも尊重することが大切になります。一つだけ尊重するのが世間一般であり、両方を尊重できるのが聖人だということになります。若いうちはとにかく高みを目指すように努力し、その上で高い地位や実績のある位置に立った時に、更に謙ることが出来れば、人から信頼され、咎め立てを受けない人物になるということが分かります。

このような聖人の言葉を、世間一般の目から離れて眺めて見ることによって、本当に道理に沿った言葉であることが分かり、更に『論語』の「子張(しちょう)第十九」の篇にある「切問近思(せつもんきんし)」のように、そんな聖人の言葉の意味を自分の身の回りの具体的な状況から考えていって、普段の生活の反省をそのような聖人の言葉を元に行う、それによって少しずつ自分自身のための活きた道理としてその言葉が理解出来るようになっていく、それが本当に大切なのだということに気付かせてくれる、そんな言葉であることが分かります。


以上をまとめますと、次のような現代語訳になります。

●現代語訳:

天下の物の中で、水よりも周囲と調和して弱々しい態度でいるものは無く、それでいて堅くて強いものを攻めるものの中で、水よりも前に出る者はいません。水は(周囲と飽和して弱々しい態度でいながらも)常に自分の性質を変えることが無いからです。

(天下の物の中で、ただ水だけが良く物の曲がると真っ直ぐ、四角と円の形に基づいてそれに従うものなのです。つまりこれは、周囲と調和して弱々しい態度でいるのは、水に勝るものが無いということです。ですが水は、大きなものを流し、大きな石を転がして、丘と谷を掘り、天地を浮かべて載せるのは、ただ水だけが良く行なえるのです。千金もの大金を使って作った堤防も、蟻の空けた小さな穴から水が漏れることによって壊れてしまうのです。つまりこれは、堅くて強いものを攻めるもののうちで、水より前に出るものは無いということです。そうなる理由は、水が物によって折れ曲がり、さまざまに変化したとしても、ついには水である理由(水としての性質)を失わないのです。これは、水が性質を変えることが無いということです。)


弱々しいものが強いものに勝つこと、周囲と調和するものが堅いもの(自分の思うままに行動しようとするもの)に勝つということは、天下に知らない人はいないけれども、それを良く行なうことが無いのです。

(天下には常に勝つ道があり、必ずしも勝つわけでは無い道があります。常に勝つ道を「柔(じゅう)」と言い、必ずしも勝つわけでは無い道を「強(彊)(きょう)」と言います。両者は良く知られていますが、人はこれを未だ(本当には)知らないのです。ですから、大昔の言葉に(「柔(じゅう)」と「強(彊)(きょう)」を更に説明する言葉として)、「強(彊)(きょう)は自分の及ばないものに上回ることです。柔(じゅう)は(相手を押しのけて自分の思い通りにしたいという欲望などの)自分から出ているものに上回ることです。」とあるのです。自分の及ばないものに上回るのは、相手が自分に匹敵するようになれば、(どちらが勝つかわからない状況になって)それで危ういことになるのです。(相手を押しのけて自分の思い通りにしたいという欲望などの)自分から出ているものに上回るようになれば、それは危うい所が無いのです。このことより、自分の一つの身に勝つことが仲間のように容易になり、天下の役目を引き受ける(誰もしたがらないような謙虚な態度で過ごす)ことが仲間のように容易になることを、「勝とうと思わなくても(自分に勝つことで)勝つようになり、大きな役目を引き受けようとしなくても、(自分から誰もしたがらないような謙虚な態度で過ごすことで)大きな役目を引き受けるようになる」と言うのです。)

(つまり、自分の及ばないものに上回る「強(彊)(きょう)」は、自分に匹敵するものが相手だとどちらが勝つか分からなくなるのに対し、(相手を押しのけて自分の思い通りにしたいという欲望などの)自分から出ているものに上回る「柔(じゅう)」は、自分の敵として出て来るのは自分自身の欲望などですから、自分以外の相手のように自分では完全に制御出来ないということは無いので、そこで何とか勝つことが出来れば危ういことにはならないということです。いつまでも誰よりも強いということはありえませんが、自分自身の欲望などに勝つことは、常に同様の困難さはありながらも、可能であるということです。そうして自分に勝って周囲と調和して過ごし、誰もしたがらないような謙虚な態度で過ごすことが出来れば、そのような人とは争う人がいなくなるために、危ういことにならず、相手に勝つということになるのです。)

(黄石公(こうせきこう)という老人は、張良(ちょうりょう:漢(かん)の高祖(こうそ:初代皇帝、つまり劉邦(りゅうほう)のこと)の参謀)が怪力の力士と力を合わせて秦(しん)の始皇帝(しこうてい)を倒そうとして失敗して逃亡中の時に、兵法書の『六韜(りくとう)』を授けたという逸話があります。その兵法書の中のポイントも、「柔は剛に勝ち、弱は強に勝つ」という二つの言葉だけなのです。)

(実際に、『六韜(りくとう)』の「文韜(ぶんとう)」の巻の「兵道(へいどう)第十二」の篇の一節には、自軍の軍備をきちんと整えた上でその様子を外部に隠して敵の油断を誘って誘き出し、敵の状況を把握して弱い所を攻めることを述べていて、自軍の状況を弱々しいものと見せて、敵に戦いを思いのままに出来ると思い込ませる、このことの大切さを述べています。)


このことによって、知恵と徳に優れた聖人は、次のように言うのです。『国の垢を引き受けるようなものこそが、これを社稷(しゃしょく:国(くに))の主と謂うのです。国の不祥を引き受けるようなものこそが、これを天下の王と言うのです。』と。

つまり、高い所にいながら身を低くして過ごす、高みを目指して努力しながら、身を低くして謙虚に過ごす、そのような姿勢で過ごすような人こそ、国や天下を治める王にふさわしい、という事です。

(つまり、低い所にいる海の水が汚れを引き受けるように、高みにいるはずの聖人が、人との調和を大切にして、謙譲の振る舞いで身を低くして過ごす、このことこそが「国の垢を引き受ける(国の汚れを引き受ける)」、「国の不祥を引き受ける(国の良くない所を引き受ける)」ということを指しているのです。そのことによって神はその(知恵と徳に優れた)聖人を助け、民衆はその聖人に懐き従う、このことが、「国を保ち天下を保つ」ことに繋がるということを指しているのです。)

(実際の例としては、『漢書(かんじょ:又は『前漢書(ぜんかんじょ)』)』の巻九十四上・「匈奴伝(きょうどでん)第六十四上」にあります。そこでは、匈奴(きょうど)の王である冒頓単于(ぼくとつぜんう)の無礼な手紙に対し、呂后(りょこう)は自分の感情のままに怒りと武力で応じること無く、礼を尽くした謙譲と、自分を老婆に見立てるほどに卑下をすることで、冒頓(ぼくとつ)自身の驕りに気付かせて、和睦をすることが出来たということです。)

(後に呂后(りょこう)は、自分の政敵となる可能性のある高祖(こうそ)の庶子(や、その母親)を殺していき、高祖(こうそ)の時代の功臣達の信頼を失っていきます。ですがこの時はまだ呂后(りょこう)もきちんと高祖(こうそ)の時代の功臣達の発言に耳を傾けることが出来たからこそ、こうしたことが可能であったということです。謙って身を低くして過ごすことこそが、国や天下を治めるために大切であるということを示した史実であるということが分かります。)


道理に沿った正しい言葉は一見道理に反しているように聴こえますが、これは先ほどのような事を意味しているのです。

(道理に沿った正しい言葉は道理に反しているようであるというのは、世間一般では、単に辱めを受ける人を庸人(普通の人、凡人)とみなすことを言うのです。今の知恵と徳に優れた聖人の言葉は、本当に道理に反するものでは無いのです。世間一般の心情に基づいてこの言葉をじっくり眺めてみると、つまりは反するようなものであると言っているだけなのです。)

(つまり、道理に沿った正しい言葉は真に正しいものだけれども、世間一般の心情からすれば、(道理に)反しているようだということです。)

(道理に沿った正しい言葉に対する、世間一般と聖人の違いを、謙譲の徳の例で見てみますと、高い地位にいながら、或いは高みを目指して努力しながら、身を低くして過ごす、これが聖人の姿であるのに対して、多くの人は高い地位にいる、或いは高みを目指して努力することは同じでも、身を低くして過ごすことが出来ずに人から咎め立てを受けてしまう、それが多くの人、世間一般の姿だと述べています。この二つを尊重することが大切になります。一つだけ尊重するのが世間一般であり、両方を尊重できるのが聖人だということになります。若いうちはとにかく高みを目指すように努力し、その上で高い地位や実績のある位置に立った時に、更に謙ることが出来れば、人から信頼され、咎め立てを受けない人物になるということが分かります。)

(このような聖人の言葉を世間一般の目から離れて眺めてみることによって、本当に道理に沿った言葉であることが分かり、更に『論語(ろんご)』の「子張(しちょう)第十九」の篇にある「切問近思(せつもんきんし)」のように、そんな聖人の言葉を自分の身の回りの具体的な状況から考えていって、普段の生活の反省をそのような聖人の言葉を元に行う、それによって少しずつ自分自身のための活きた道理をしてその言葉が理解出来るようになっていく、それが本当に大切なのだということに気付かせてくれる、そんな言葉であることが分かります。)


●まとめ:

今回は、『読老子』の第七十八章、つまり『老子』の第七十八章の翻訳と解説です。

この章では、

天下の物の中で、周囲と調和して弱々しい態度でいるのは、水に勝るものが無いということを述べ、千金もの大金を使って作った堤防も、蟻の空けた小さな穴から水が漏れることによって壊れてしまうように、堅くて強いものを攻めるものの内で、水よりも前に出るものは無いということを述べ、

(この中で出て来た丈人(じょうじん:老人や年長者の、尊くて威厳のある人)という言葉の意味を解説している箇所もあります。)

周囲と調和して弱々しい態度でいるものが強くて自分の思うままに行動しようとするものに勝つということは、天下に知らない人はいないけれども、それを良く行なうことが無いということを述べ、

常に勝つ道である「柔(じゅう)」と、必ずしも勝つわけでは無い道である「強(彊)(きょう)」について述べ、「強(彊)(きょう)」は自分の及ばないものに上回るもので、自分に匹敵するものが相手だとどちらが勝つか分からなくなるのに対し、「柔(じゅう)」は(相手を押しのけて自分の思い通りにしたいという欲望などの)自分から出ているものに上回るもので、自分の敵として出て来るのは自分自身の欲望などですから、自分以外の相手のように自分では完全に制御出来ないということは無いので、そこで何とか勝つことが出来れば危ういことにはならないことを述べ、いつまでも誰よりも強いということはありえませんが、自分自身の欲望などに勝つことは、常に同様の困難さはありながらも、可能であり、そうして自分に勝って周囲と調和して過ごし、誰もしたがらないような謙虚な態度で過ごすことが出来れば、そのような人とは争う人がいなくなるために、危ういことにならず、相手に勝つということになるということを述べ、

黄石公(こうせきこう)という老人が、後に漢(かん)の高祖(こうそ:初代皇帝の劉邦(りゅうほう))の参謀となる張良(ちょうりょう)に授けた兵法書の『六韜(りくとう)』の中のポイントも、「柔は剛に勝ち、弱は強に勝つ」という二つの言葉だけであることを述べ、

実際に、『六韜(りくとう)』の「文韜(ぶんとう)」の巻の「兵道(へいどう)第十二」の篇の一節には、自軍の軍備をきちんと整えた上でその様子を外部に隠して敵の油断を誘って誘き出し、敵の状況を把握して弱い所を攻めることを述べていて、自軍の状況を弱々しいものと見せて、敵に戦いを思いのままに出来ると思い込ませる、このことの大切さを述べ、

低い所にいる海の水が汚れを引き受けるように、高みにいるはずの聖人が、人との調和を大切にして、謙譲の振る舞いで身を低くして過ごす。このことこそが「国の垢を引き受ける(国の汚れを引き受ける)」、「国の不祥を引き受ける(国の良くない所を引き受ける)」ということを指していることを述べ、そのことによって神はその(知恵と徳に優れた)聖人を助け、民衆はその聖人に懐き従う、このことが、「国を保ち天下を保つ」ことに繋がるということを述べ、

実際の例として、『漢書(かんじょ:又は『前漢書(ぜんかんじょ)』)』の巻九十四上・「匈奴伝(きょうどでん)第六十四上」にあり、そこでは、匈奴(きょうど)の王である冒頓単于(ぼくとつぜんう)の無礼な手紙に対し、呂后(りょこう)は自分の感情のままに怒りと武力で応じること無く、礼を尽くした謙譲と、自分を老婆に見立てるほどに卑下をすることで、冒頓(ぼくとつ)自身の驕りに気付かせて、和睦をすることが出来たということを述べて、謙って身を低くして過ごすことが、国や天下を治めるために大切であるということを示した史実であることを述べ、

道理に沿った正しい言葉は正しいものだけれども世間一般の心情からすれば、(道理に)反しているようだということを述べ、

道理に沿った正しい言葉に対する、世間一般と聖人の違いを、謙譲の徳の例で見てみますと、高い地位にいながら、或いは高みを目指して努力しながら、身を低くして過ごす、これが聖人の姿であるのに対して、多くの人は高い地位にいる、或いは高みを目指して努力することは同じでも、身を低くして過ごすことが出来ずに人から咎め立てを受けてしまう、それが多くの人、世間一般の姿だと述べ、この二つを尊重することが大切になり、一つだけ尊重するのが世間一般であり、両方を尊重できるのが聖人であることを述べ、

このような聖人の言葉を世間一般の目から離れて眺めてみることによって、本当に道理に沿った言葉であることが分かり、更に『論語(ろんご)』の「子張(しちょう)第十九」の篇にある「切問近思(せつもんきんし)」のように、そんな聖人の言葉を自分の身の回りの具体的な状況から考えていって、普段の生活の反省をそのような聖人の言葉を元に行う、それによって少しずつ自分自身のための活きた道理としてその言葉が理解出来るようになっていく、それが本当に大切なのだということに気付かせてくれる、そんな言葉であることが分かる章です。

私も療養生活が続く中で、謙虚な態度で過ごしながらしっかりと努力を積み重ねていきます。第八十一章までもう少しですので、しっかりと頑張っていきます。


(第七十八章・了)


佐村 昌哉(筆名:白川 玄齋)

この記事へのコメント

  • 美舟

    大変勉強になりました。
    私などこう言った勉強を自分ではできません。
    なので、こうして説明をして下さるととっても分かりやすく勉強になります。
    これからもずっと楽しみに拝見させて頂きます。
    朝夕はまだまだ肌寒いですが、春の気配が感じられるようになりましたね。
    早く本格的な春にならないかな〜と待ち遠しいです!
    ご体調は如何でございますか?
    寒暖の差が激しいと、体調も崩しがちになることかと思われます。
    くれぐれもお身体ご自愛下さいませね。
    2016年03月28日 00:19
  • 玄齋(佐村)

    美舟さん、おはようございます。
    温かいコメントをありがとうございます。

    はい。こうした勉強が漢詩作りにも生かせるといいなと思います。
    漢詩の会に入って漢詩を作ったり昔の漢詩を勉強したりする中で、
    漢文の白文もきちんと読めるようになってきて、
    それでこうした勉強が進んできたのが嬉しいです。

    かつて fuko 師匠に「漢詩は平易に作るように」と言われたことを、
    普段の漢文の勉強にも応用して、
    分かりやすく翻訳と解説をするように心がけてきました。
    このことはこれからも大切にして進めていこうと思います。

    これから桜の時期ですね。本格的に満開になるのが楽しみです。
    時折寒い時期もありますので、気温にも気を付けつつ、
    療養を続けながら頑張っていきます。
    美舟さんも良い一週間をお過ごし下さい。
    2016年03月28日 07:25
  • 泥舟

    こんばんは
    大変勉強になりました
    漢字は一つづつ意味があるものですし
    旧漢字があって今に至りますしね
    書道をしていて法帖(手本)を書いていると
    旧書体が殆どです
    ですので 知らない旧字なども出てきて意味がわからないことも
    とてもわかりやすかったです
    2016年03月28日 22:12
  • 玄齋(佐村)

    泥舟さん、こんばんは。温かいコメントをありがとうございます。

    勉強の中で、知らない言葉の意味を調べることが出来るようになったのが嬉しいです。
    語源まで溯るといろんなエピソードを知ることが出来て嬉しいです。

    「丈人」という言葉の意味も、『論語』の朱子の註釈では「隠者」となっていますが、
    どうもこれでは『易経』の師の卦の軍隊を指揮する人物を指すにはふさわしくないと思い、
    いろんな注釈を調べる中で、「老人や年長者の、尊くて威厳のある人」
    という意味に行き着きました。
    こういう調査は時間がかかりますがとても楽しいです。

    これからも療養しながらしっかりと、出来る限り楽しく頑張っていきます。
    泥舟さんも良い月曜日の夜をお過ごし下さい。
    泥舟さんがしっかり回復されるようにと願っています。
    2016年03月28日 23:12
  • 玄齋(佐村)

    追伸です。

    太公望が著し、黄石公(こうせきこう)が撰録したとされる
    『三略(さんりゃく)』の「上略(じょうりゃく)」の最初の方には、
    「柔能制剛、弱能制強」、つまり
    「柔 能(よ)く剛を制し、弱 能(よ)く強を制す」とあります。
    これも柔と弱、つまり「人との調和を大切にして過ごす」ことが、
    剛と強、つまり「果断で、自分の思うままに物事を動かそうとする」
    ことを上回るという例の一つになります。

    『六韜(りくとう)』でも『三略(さんりゃく)』でも、
    同じことが根底に述べられていることが分かります。

    このことに私の漢詩の師匠の fuko さんからご指摘下さいました。
    fuko さんに感謝をするとともに、ここに補足しておきます。
    2016年04月30日 19:36