漢詩「晩春偶成」(七言律詩)

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●原文:

 晩春偶成  玄齋 佐村 昌哉  大阪市

花 開 花 散 憶 扶 桑  憂 悶 天 災 何 十 霜

慘 禍 再 遭 頽 國 土  舊 家 多 壞 寓 他 鄕

愛 憐 山 麓 風 光 好  信 賴 市 民 心 志 彊

苦 境 相 同 未 來 我  今 傾 萬 慮 鼓 詩 腸


●書き下し文:

 題:「晩春(ばんしゆん) 偶成(ぐうせい)」

花(はな) 開(ひら)き花(はな) 散(さん)ずる扶桑(ふさう)を憶(おも)ひ
天災(てんさい)を憂悶(いうもん)する何十霜(なんじつさう)

慘禍(さんくわ) 再(ふたた)び遭(あ)ひて國土(こくど)を頽(くづ)し
舊家(きうか) 多(おほ)く壞(こは)れて他鄕(たきやう)に寓(ぐう)す

愛憐(あいれん)す山麓(さんろく)の風光(ふうくわう) 好(よ)きを
信賴(しんらい)す市民(しみん)の心志(しんし) 彊(つよ)きを

苦境(くきやう) 未來(みらい)の我(われ)と相(あひ) 同(おな)じ
今(いま)は萬慮(ばんりよ)を傾(かたむ)けて詩腸(しちやう)を鼓(こ)さん

「慘」の新字体は「惨」、「國」の新字体は「国」、「舊」の新字体は「旧」、「壞」の新字体は「壊」、「鄕」の新字体は「郷」、「賴」の新字体は「頼」、「彊」の新字体は「強」、「來」の新字体は「来」、「萬」の新字体は「万」、「發」の新字体は「発」
「桑(さう)」の新仮名遣いは「桑(そう)」
「憂(いう)」の新仮名遣いは「憂(ゆう)」
「霜(さう)」の新仮名遣いは「霜(そう)」
「禍(くわ)」の新仮名遣いは「禍(か)」
「遭(あ)ひて」の新仮名遣いは「遭(あ)いて」
「頽(くづ)し」の新仮名遣いは「頽(くず)し」
「舊(きう)」の新仮名遣いは「舊(きゆう)」
「多(おほ)く」の新仮名遣いは「多(おお)く」
「壞(こは)れて」の新仮名遣いは「壞(こわ)れて」
「鄕(きやう)」の新仮名遣いは「鄕(きよう)」
「光(くわう)」の新仮名遣いは「光(こう)」
「境(きやう)」の新仮名遣いは「境(きよう)」
「相(あひ)」の新仮名遣いは「相(あい)」
「腸(ちやう)」の新仮名遣いは「腸(ちよう)」


●現代語訳:

 題:「春の暮れに偶然出来た漢詩です」

花が開いて花が散る、そんな日本のことを思い、
自然の災いを心配して苦しむ何十年を過ごしてきました。

痛ましい災いに再び出遭って国土を崩し、
昔から続いている家は多く壊れて他の土地に仮住まいをしている有様です。

愛おしむのは山の麓の景色が良いことです。
頼りに出来るものとして信じるのは市民の志が強いことです。

苦しい境遇はこれから先の私とお互いに同じなのです。
今は多くの考えを傾けて詩を作る気持ちを掻き立てようと思います。


●語注:

※晩春(ばんしゆん)(小書き文字を使うと「ばんしゅん」):春の暮れのことです。

※偶成(ぐうせい):偶然出来た詩のことです。

※扶桑(ふそう(ふさう)):日本のことです。古代の地理書である『山海経(せんがいきょう)』の「海外東経(かいがいとうきょう)」に出て来る言葉で、本来、中国の東の海の中に在る樹木を指し、その樹木が生えているとされる場所にある日本の別名に用いている言葉です。

※天災(てんさい):自然に起る災いのことです。

※憂悶(ゆうもん(いうもん)):心配して苦しむことです。

※何十霜(なんじつさう(なんじつそう))(小書き文字を使うと「なんじっそう」):何十年、という意味です。

※惨禍(慘禍)(さんか(さんくわ)):痛ましい災いのことです。

※旧家(舊家)(きゆうか(きうか))(小書き文字を使うと「きゅうか」):昔から続いている家のことです。

※他郷(他鄕)(たきよう(たきやう))(小書き文字を使うと「たきょう」):他所の土地のことです。

※寓(ぐう)す:仮住まいをすることです。

※愛憐(あいれん):愛おしむことです。

※山麓(さんろく):山の麓(ふもと)のことです。

※風光(ふうこう(ふうくわう)):景色のことです。

※心志(しんし):志(こころざし)のことです。

※苦境(くきよう(くきやう))(小書き文字を使うと「苦境(くきょう)」):苦しい境遇のことです。

※万慮(萬慮)(ばんりよ)(小書き文字を使うと「ばんりょ」):多くの考えのことです。

※詩腸(しちやう(しちよう))(小書き文字を使うと「しちょう」):詩を作る気持ちのことです。

※鼓(こ)す:気持ちを掻き立てることです。「詩腸(しちょう)を鼓(こ)す」で、「詩を作る気持ちを掻き立てる」という意味になります。

(余談ですが、「詩腸鼓吹(しちょうこすい)」という四字熟語があります。これは詩を作る気持ちを掻き立てられることを示す言葉です。この言葉の元になった話は、『雲仙雑記(うんぜんざっき)』の巻二「俗耳鍼砭詩腸鼓吹(ぞくじしんぺんしちょうこすい)」の篇の一節にある、中国の南北朝(なんぼくちょう)時代の宋(そう)の学者である戴顒(たいぎょう:『世説新語補(せせつしんごほ)』には戴仲若(たいちゅうじゃく)として出て来ます。名は顒(ぎょう)、字(あざな:成人の時に付けられる名)は仲若(ちゅうじゃく)です。

以下の話です。

中国の南北朝(なんぼくちょう)時代の宋の学者である戴顒(たいぎょう)は、春に二つのミカンと一との酒を携えていました。その姿に人はこう言いました。

「どこへ行くのですか。」

と。すると戴顒(たいぎょう)は言いました。

「黄鸝(こうり:鴬(うぐいす)のこと)の鳴き声を聴きに行くのです。これは俗世に汚れた耳に打つ鍼砭(しんぺん:治療に用いた石の鍼(はり))であり、詩を作る気持ちを掻き立てるものです。あなたはこのことを知っていますか。」

と。

という話です。)

(※七句目の「未來我」は「仄声・平声・仄声」という形の「挟み平(はさみひょう)」になっています。これは、本来の「平声・仄声・仄声」の代わりに用いるものです。)


●解説:

春の暮れに偶然出来た漢詩です。
四月十四日より起きた熊本地震について、七言律詩の漢詩にしました。

自然の恵みが多い分、自然災害も多いということは何とも悲しいことです。
現地の避難先での苦しい境遇も、今までの震災を思い出して苦しくなります。
しっかりと復興がなされるようにと願っています。
私自身にも出来ることは少しでもしていくことが出来ればと考えています。

大阪市も真ん中に断層が走っており、
東南海・南海地震もいつしか起こると言われている中で、
熊本での大地震も将来の自分に降りかかることとして、
しっかりと考えていくことにします。

今はそもそも私自身もしっかりと生きていくことが大切だと思っています。
療養生活の中でも、しっかりと努力を重ねていければと思います。
生きられるだけしっかりと生きようと思います。


佐村 昌哉(筆名:白川 玄齋)

この記事へのコメント

  • 美舟

    なんと素晴らしいお作品なことでしょう。
    美しい中にも心の中の強い意志とか苦しみとかを表現。
    凄いお作品と称賛しかないと思いました。
    熊本の大震災。
    本当に酷いことになってますね。
    でも被災者の方々は悲しみや苦しみの中でも頑張っておられるようですね。
    支援している方々も多いですし、早くの復興を祈りたいです。
    そして余震がまだ続いているようですので、なんとか早く収まって欲しいなと思います。
    明日は我が身ってのも感じております。
    南海トラフ、南海大震災では私の地域は圏内です。
    少しでも自分でできる対策をと考えています。
    またの素晴らしいお作品を楽しみにしております。
    勉強させて頂きます。
    これからもどうぞ宜しくお願い致します。
    2016年04月27日 15:19
  • 玄齋(佐村)

    美舟さん、こんばんは。温かいコメントをありがとうございます。

    はい。避難先での苦しい日々の中で何とか頑張っておられる方々を、
    どうにか詠み込もうと思って工夫していました。
    余震もなおも続いていていて気がかりです。
    安らかな日々が早く戻るようにと願っています。
    海溝型の大地震は被害の範囲もとても広いですね。
    いつしか私自身にも降りかかる大地震、
    少しでも備えが出来れば良いなと思っています。

    今年は地震の漢詩が続いている中で、
    どのようにその状況を漢詩にするかということに苦心していました。
    こうした工夫を常に行いつつ、療養しながら頑張っていきます。
    『老子』の翻訳と解説の方も、引き続きしっかりと頑張ります。

    美舟さんも良い水曜日の夜をお過ごし下さい。
    2016年04月27日 19:12
  • 玄齋(佐村)

    返信機能というものが加わりましたので、
    次回からこの機能を使ってコメントのお返事をしていきます。

    では、

    >療養しながら頑張っていきます。
    >『老子』の翻訳と解説の方も、引き続きしっかりと頑張ります。
    2016年04月27日 20:00