填詞「観馬拉松(倣宴山亭)」

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●原文:

 觀馬拉松(倣宴山亭)  玄齋 佐村 昌哉  大阪市

 走力相同,持久力殊,走破長途研鑽。爭鬭舞臺,海水澄明,良好白砂沿岸。島嶼竒岩,景光妙、幾囘稱贊。樓觀。盡地理天文,險夷相半。

 ●

 開始凝集彊豪,聽號砲轟鳴,一齊將發。選手先頭,單身疾走,遙離集團優越。競走常嚴,一時勢、盈虛如月。髙揭。傳快報、行程勃勃。


●書き下し文:

 題:「馬拉松(マラソン)を觀(み)る(山亭(さんてい)に宴(うたげ)すに倣(なら)ふ)」

走力(そうりよく) 相(あひ) 同(おな)じくして,
持久(ぢきう)の力(ちから) 殊(こと)にして,
長途(ちやうと)を走破(そうは)せんと研鑽(けんさん)す。

爭鬭(さうとう)の舞臺(ぶたい),
海水(かいすい) 澄明(ちやうめい)にして,
良好(りやうかう)なる白砂(はくさ)の沿岸(えんがん)。

島嶼(とうしよ)の竒岩(きがん),
景光(けいくわう)の妙(めう)、
幾囘(いくくわい)か稱贊(しようさん)せん。

樓觀(ろうくわん)。
地理(ちり) 天文(てんもん)を盡(つ)くして,
險夷(けんい) 相(あひ) 半(なか)ばす。

  ●

開始(かいし)は凝集(ぎようしふ)せる彊豪(きやうがう),
號砲(がうはう)の轟鳴(がうめい)を聽(き)きて,
一齊(いつせい) 將(まさ)に發(はつ)せんとす。

選手(せんしゆ)の先頭(せんとう),
單身(たんしん) 疾走(しつそう)し,
遙(はる)かに集團(しふだん)を離(はな)れて優越(いうゑつ)す。

競爭(きやうそう) 常(つね)に嚴(きび)しく,
一時(いちじ)の勢(いきほ)ひ、
盈虛(えいきよ)すること月(つき)の如(ごと)し。

髙(たか)く揭(かか)ぐ。
快報(くわいはう)を傳(つた)ふ、
行程(かうてい) 勃勃(ぼつぼつ)たりと。

「觀」の新字体は「観」、「爭」の新字体は「争」、「鬭」の新字体は「闘」、「臺」の新字体は「台」、「竒」の新字体は「奇」、「囘」の新字体は「回」、「稱」の新字体は「称」、「贊」の新字体は「賛」、「樓」の新字体は「楼」、「盡」の新字体は「尽」、「險」の新字体は「険」、「彊」の新字体は「強」、「號」の新字体は「号」、「聽」の新字体は「聴」、「齊」の新字体は「斉」、「將」の新字体は「将」、「發」の新字体は「発」、「單」の新字体は「単」、「遙」の新字体は「遥」、「團」の新字体は「団」、「嚴」の新字体は「厳」、「虛」の新字体は「虚」、「髙」の新字体は「高」、「揭」の新字体は「掲」、「傳」の新字体は「伝」
「倣(なら)ふ」の新仮名遣いは「倣(なら)う」
「相(あひ)」の新仮名遣いは「相(あい)」
「持(ぢ)」の新仮名遣いは「持(じ)」
「久(きう)」の新仮名遣いは「久(きゆう)」
「長(ちやう)」の新仮名遣いは「長(ちよう)」
「爭(さう)」の新仮名遣いは「爭(そう)」
「澄(ちやう)」の新仮名遣いは「澄(ちよう)」
「良(りやう)」の新仮名遣いは「良(りよう)」
「光(くわう)」の新仮名遣いは「光(こう)」
「妙(めう)」の新仮名遣いは「妙(みよう)」
「囘(くわい)」の新仮名遣いは「囘(かい)」
「觀(くわん)」の新仮名遣いは「觀(かん)」
「集(しふ)」の新仮名遣いは「集(しゆう)」
「彊(きやう)」の新仮名遣いは「彊(きよう)」
「豪(がう)」の新仮名遣いは「豪(ごう)」
「號(がう)」の新仮名遣いは「號(ごう)」
「砲(はう)」の新仮名遣いは「砲(ほう)」
「轟(がう)」の新仮名遣いは「轟(ごう)」
「優(いう)」の新仮名遣いは「優(ゆう)」
「越(ゑつ)」の新仮名遣いは「越(えつ)」
「競(きやう)」の新仮名遣いは「競(きよう)」
「勢(いきほ)ひ」の新仮名遣いは「勢(いきお)い」
「快(くわい)」の新仮名遣いは「快(かい)」
「報(はう)」の新仮名遣いは「報(ほう)」
「傳(つた)ふ」の新仮名遣いは「傳(つた)う」
「行(かう)」の新仮名遣いは「行(こう)」


●現代語訳:

 題:「マラソンをじっくり見た時のことを、宮廷歌謡の替え歌である填詞(てんし)の『山中の東屋で宴を張る』という、詞譜(しふ:又は詞牌(しはい))という填詞(てんし)の譜面に基づいて詠みました」

 走る力はお互いに同じであり、
 持ちこたえる力は異なる選手達が、
 長い道のりを走破しようと、マラソンを深く究めようとしていました。

 争い闘う舞台は、
 海水は澄み切っていて、
 良い白い砂の沿岸となっている所です。

 大小の島々の珍しい岩や、
 景色の不思議さというものを、
 何度、褒め称えたことでしょう。

 高い建物から景色を眺めてみました。すると、
 土地の色々な様子や、天体の現象などを尽くした眺めがあり、
 険しい所と平らな所がお互いに半ばするような眺めがありました。

  ●

 開始時は一つに集まり固まった強豪達が、
 合図の鉄砲の雷のような音が現れ出ると、
 一斉に、今まさに出発しようとしていました。

 選手達の先頭では、
 ただ一人だけ速く走って、
 遥か遠くに集団から離れて、他の選手達より優れ勝っていました。

 競走は常に厳しいもので、
 一時の勢いが、
 満ちたり欠けたりする様子は、月のようでした。

 高く掲げているものがあります。
 良い知らせを伝えようとしているのです。それは、
 (マラソンの)道のりで、身軽で速く走っていることです。

●語注:

※馬拉松(マラソン):中国語で「マラソン」のことです。

※山亭(さんてい):「山中のあずまや。」(『新字源』P300)

※持久(じきゆう(ぢきう))(小書き文字を使うと「じきゅう」):「長くもちこたえる。」(『新字源』P413)

※研鑽(けんさん):「学問などを深く究めること。」(『goo 国語辞書』の「研鑽」の検索結果< http://dictionary.goo.ne.jp/jn/69715/meaning/m0u/%E7%A0%94%E9%91%BD/ >(アクセス日:平成二十八年八月二十日(土)))

※争闘(爭鬭)(そうとう(さうとう)):「あらそいたたかうこと。闘争。」(『goo 国語辞書』の検索結果< http://dictionary.goo.ne.jp/jn/129155/meaning/m0u/%E4%BA%89%E9%97%98/ >(アクセス日:平成二十八年八月二十日(土)))

※澄明(ちようめい(ちやうめい))(小書き文字を使うと「ちょうめい」):「水・空気などが澄み切っていること。また、そのさま。」(『goo 国語辞書』の「澄明」の検索結果< http://dictionary.goo.ne.jp/jn/144883/meaning/m0u/%E6%BE%84%E6%98%BE/ >(アクセス日:平成二十八年八月二十一日(日)))

※良好(りようこう(りやうかう))(小書き文字を使うと「りょうこう」):「よいこと。好ましい状態であること。また、そのさま。」(『goo 国語辞書』の「良好」の検索結果< http://dictionary.goo.ne.jp/jn/232464/meaning/m0u/%E8%89%AF%E5%A5%BD/ >(アクセス日:平成二十八年八月二十一日(日)))

※島嶼(とうしよ(たうしよ))(小書き文字を使うと「とうしょ」):「大小の島々。嶼〔しょ〕は、小さいしま。」(『新字源』P304)

※景光(けいこう(けいくわう)):「光景。けしき。」(『新字源』P304)

※称賛(稱贊)(しようさん)(小書き文字を使うと「しょうさん」):「ほめたたえる。ほめる。」(『新字源』P731)


※楼観(樓觀)(ろうかん(ろうくわん)):「高い建物。たかどの。ものみ台。」(『新字源』P567)

※地理(ちり):「土地のいろいろなようす。」(『新字源』P212)

※天文(てんもん):「天に見えるいろいろなもののあや。天体の現象。」(『新字源』P242)

(ちなみに、「天文(てんもん)」と「地理(ちり)」という言葉の由来について、末尾の付録にまとめてあります。)

※凝集(ぎようしゆう(ぎようしふ))(小書き文字を使うと「ぎょうしゅう」):「散らばったりしていたものが、一つに集まり固まること。」(『goo 国語辞書』の「凝集」の検索結果< http://dictionary.goo.ne.jp/jn/56380/meaning/m0u/%E5%87%9D%E9%98%86 >(アクセス日:平成二十八年八月二十二日(月)))

※号砲(號砲)(ごうほう(がうはう)):「相図の鉄砲、または大砲。」(『新字源』P161)

※轟鳴(ごうめい(がうめい)):「發出轟隆轟隆的大聲。」(Web サイトの『漢典』の「轟鳴」の検索結果< http://www.zdic.net/c/0/151/336765.htm >(リンクを防止するために URL の「:(コロン)」は全角にしています。)(アクセス日:平成二十八年八月二十二日(月)))とあります。つまり、「雷のようなものが爆発した大きな音が現れ出ること。」です。

※発出(發出)(はつしゆつ)(小書き文字を使うと「はっしゅつ」):「ある物事や状態が現れ出ること。また、表し出すこと。」(『goo 国語辞書』の「発出」の検索結果< http://dictionary.goo.ne.jp/jn/177511/meaning/m0u/%E7%99%BA%E5%87%BA/ >(アクセス日:平成二十八年八月二十二日(月)))

※単身(單身)(たんしん):「ただひとりだけ。」(『新字源』P191)

※疾走(しつそう)(小書き文字を使うと「しっそう」):「速く走る。速くにげる。」(『新字源』P678)

※優越(ゆうえつ(いうゑつ)):「他よりすぐれまさる。」(『新字源』P83)

※盈虚(盈虛)(えいきよ):「満ちることと欠けること。」(『新字源』P690)

※快報(かいほう(くわいはう)):「よい知らせ。」(『新字源』P360)

(「快報(かいほう)」は日本語ですが、漢詩の詩語として使えます。(『詩語辞典』P182(松雲堂書店、昭和五十六年)より))

※行程(こうてい):「旅の道のり。」(『新字源』P897)

※勃勃(ぼつぼつ):「身軽で速いさま。」(『新字源』P127)


●解説:

 今回は、リオデジャネイロオリンピックのマラソンをテレビで見ていた時のことを、宮廷歌謡の替え歌である填詞(てんし)に詠みました。詞譜(しふ:又は詞牌(しはい))という填詞(てんし)の譜面は、「宴山亭(山亭(さんてい)に宴(うたげ)す)」です。今回はこの譜面に基づいて詠みました。

 私はマラソンのテレビ中継が好きです。その中で展開される熾烈な競走ももちろんですが、その競争の模様を中継する中で見える周りの風景が好きなのです。今回も海沿いの素敵な風景を見ることが出来て嬉しいです。

 五輪では途中まで集団が固まっていた所から次第に先頭の選手がスパートをかけて、他の選手を大きく引き離して勝利する、そんな展開が見られてとても感動的でした。今回の五輪のマラソンでは、日本人選手が完走するまでを見ていました。過酷な気候の中でとても長い距離を走るというのは、とてもすごいことだと改めて思いました。

 次の付録で翻訳と解説をした『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』の一節には、道を修め、それに従って生活をする中で、他の心配事が無いという所がとても心に残りました。私も漢文や漢詩や填詞(てんし)の勉強をし、実際に翻訳や解説をしたり、漢詩や填詞(てんし)を作ったりする中で、心がほんの少しの間でも落ち着く瞬間というものを味わうこともありますが、まだ心配事が他に無いという所までは到達していないことに改めて気付かされます。自宅で治療を続けながら勉強に一心に取り組みつつ、私自身の身もしっかりと修めていくことが大切だなと最近よく思います。これからもしっかりと頑張ります。


●付録:

 語注で述べました通り、「天文(てんもん)」と「地理(ちり)」の言葉の由来について述べていきます。これらの言葉はどちらも、『易経(えききょう)』の易の哲学について述べた「繋辞伝(けいじでん)上」の第四章にあります。その一節は、次の通りです。

■原文:

易與天地準、故能彌綸天地之道。仰以觀於天文、俯以察於地理。是故幽明之故。原始反終、故知死生之説。

■書き下し文:

易(えき)は天地(てんち)に準(なぞ)らふ、故(ゆゑ)に能(よ)く天地(てんち)の道(みち)を彌綸(びりん)す。仰(あふ)ぎて以(もつ)て天文(てんもん)を觀(み)、俯(ふ)して以(もつ)て地理(ちり)を察(さつ)す。是(こ)の故(ゆゑ)に幽明(いうめい)の故(こと)を知(し)る。始(はじ)めを原(たづ)ねて終(を)はりに反(かへ)る、故(ゆゑ)に死生(しせい)の説(せつ)を知(し)る。

「彌」の新字体は「弥」
「準(なぞ)らふ」の新仮名遣いは「準(なぞ)らう」
「故(ゆゑ)に」の新仮名遣いは「故(ゆえ)に」
「幽(いう)」の新仮名遣いは「幽(ゆう)」
「原(たづ)ねて」の新仮名遣いは「原(たず)ねて」
「終(を)はり」の新仮名遣いは「終(お)わり」
「反(かへ)る」の新仮名遣いは「反(かえ)る」

この部分の前半部分の、呉(ご)の虞翻(ぐほん)の註釈には、次のように述べています。

○原文:

準、同也。彌、大。綸、絡。謂易在天下、包絡萬物以言乎天地之閒則備矣。故與天地準也。

○書き下し文:

準(じゆん)は、同(どう)なり。彌(び)は、大(だい)なり。綸(りん)は、絡(らく)なり。易(えき)の天下(てんか)に在(あ)りて、萬物(ばんぶつ)を包絡(はうらく)して以(もつ)て天地(てんち)の閒(かん)を言(い)ふに則(すなは)ち備(そな)はるを謂(い)ふ。故(ゆゑ)に天地(てんち)に準(なぞら)ふなり。

「萬」の新字体は「万」、「閒」の新字体は「間」
「包(はう)」の新仮名遣いは「包(ほう)」
「言(い)ふ」の新仮名遣いは「言(い)う」
「則(すなは)ち」の新仮名遣いは「則(すなわ)ち」
「備(そな)はる」の新仮名遣いは「備(そな)わる」
「謂(い)ふ」の新仮名遣いは「謂(い)う」

○現代語訳:

「準(なぞら)える(則(のっと)る)」というのは、「同じとみなす」ということなのです。「弥(び:広く行き渡る)」とは「大きい」ということなのです。「綸(りん:司(つかさど)る)」とは「絡(らく:纏(まと)う(そのものを纏うように身に付ける))」ということなのです。これは易が天下にある様子は、あらゆる物事を包み纏って、それによって天地の閒のあらゆる物事を言うためのものが、つまりは備わっていることを言うのです。ですから、「天地に則る」と言うのです。


更に、この一節の後半部分を考えるために、『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』の「知分(ちぶん)」の篇の一節を見てみます。次の一節です。

○原文:

禹南省、方濟乎江、黃龍負舟、舟中之人五色無主。禹仰視天而歎曰、「吾受命於天、竭力以養人。生、性也。死、命也。余何憂於龍焉。」龍俛耳低尾而逝。則禹乎死生之分、利害之經也。凡人物者、陰陽之化也。陰陽者、造乎天而成者也。天固有衰嗛廢伏、有盛盈蚡息。人亦有困窮屈匱、有充實達遂。此皆天之容物理也、而不得不然之數也。古聖人不以感私傷神、兪然而以待耳。

○書き下し文:

禹(う)は南省(なんせい)し、方(まさ)に江(かう)を濟(わた)らんとするに、黃龍(くわうりゆう) 舟(ふね)を負(お)ひ、舟中(しうちゆう)の人(ひと) 五色(ごしよく) 主(あるじ) 無(な)し。禹(う)は天(てん)を仰視(ぎやうし)して歎(たん)じて曰(いは)く、

「吾(われ)、命(めい)を天(てん)より受(う)け、力(ちから)を竭(つ)くして以(もつ)て人(ひと)を養(やしな)ふ。生(せい)は、性(せい)なり。死(し)は、命(めい)なり。余(よ) 何(なん)ぞ龍(りゆう)を憂(うれ)へん。」

と。龍(りゆう)は耳(みみ)を俛(ふ)せて尾(を)を低(た)れて逝(ゆ)く。凡(およ)そ人物(じんぶつ)なる者(もの)は、陰陽(いんやう)の化(くわ)なり。陰陽(いんやう)なる者(もの)は、天(てん)を造(つく)りて成(な)る者(もの)なり。天(てん)は固(もと)より衰嗛(すいけん) 廢伏(はいふく) 有(あ)りて、盛盈(せいえい) 蚡息(ふんそく) 有(あ)り。人(ひと)は亦(また) 困窮(こんきゆう) 屈匱(くつき) 有(あ)りて、充實(じゆうじつ) 達遂(たつすい) 有(あ)り。此(これ) 皆(みな) 天(てん)の物理(ぶつり)を容(い)れて、而(しかう)して然(しか)らざるを得(え)ざるの數(すう)なり。古(いにしへ)の聖人(せいじん)は、私(わたくし)を感(かん)ずるを以(もつ)て神(しん)を傷(きず)つけず、兪然(ゆぜん)として以(もつ)て待(ま)つのみ。

「濟」の新字体は「済」、「黃」の新字体は「黄」、「廢」の新字体は「廃」、「實」の新字体は「実」、「數」の新字体は「数」、「神」の新字体は「神」
「江(かう)」の新仮名遣いは「江(こう)」
「黃(くわう)」の新仮名遣いは「黃(こう)」
「負(お)ひ」の新仮名遣いは「負(お)い」
「舟(しう)」の新仮名遣いは「舟(しゆう)」
「仰(ぎやう)」の新仮名遣いは「仰(ぎよう)」
「養(やしな)ふ」の新仮名遣いは「養(やしな)う」
「憂(うれ)へん」の新仮名遣いは「憂(うれ)えん」
「尾(を)」の新仮名遣いは「尾(お)」
「陽(やう)」の新仮名遣いは「陽(よう)」
「古(いにしへ)」の新仮名遣いは「古(いにしえ)」

「蚡(ふん)」は実際には「蚡.png」となっていて、孫鏘鳴(そんしょうめい)の註釈(『呂氏春秋高注補正(りょししゅんじゅうこうちゅうほせい)』)では、「蚡.png、坌通。(蚡.png(ふん)、坌(ふん) 通(つう)ず。)」、つまり「蚡.png(ふん)と坌(ふん)は通用します。」とありますので、「蚡(ふん)」は「坌(ふん)」の意味で解釈しています。「坌(ふん)」は「集まる」という意味の文字です(『新字源』P214)。

「性(せい)」と「命(めい)」については、四書の『中庸(ちゅうよう)』の第一章の一節を元にしています。

★原文:

天命之謂性。

★書き下し文:

天(てん)の命(めい)ずる之(これ)を性(せい)と謂(い)ふ。

★現代語訳:

天の(あらゆる物事に)与えたそのままの姿を、性(せい:その物事が生まれ持った優れた性質)と言います。


○現代語訳:

古代の帝王の禹(う)は南方に省(せい:秋の狩り)をして、今まさに江(こう:揚子江(ようすこう))を船で渡ろうとしていた時に、黄色い龍がその船を背負って、舟の中の人は顔色が五色(基本となる五つの色)が主を無くしてしまったようでした(顔色がすっかり変わって慌てふためいていました)。禹(う)は天を仰ぎ見て嘆いて言いました。

「私は私の運命と使命を天(てん:天の主宰者である天帝(てんてい))より受けて、力をすっかり出し尽くすようにして民衆を養っているのです。人の生とは、性(せい:天より受けた生まれつきの優れた性質)であり、人の死とは、命(めい:天より受けた運命、性質)なのです。

(私は自分が天から受けた運命・使命を知り、その上で天より受けた生まれつきの性質を、道の修養でその性質を磨きをかけて保つ、そうして生きていくだけなのです。ですから、)

私はどうして龍を心配して恐れることがあるでしょうか。」

と。すると龍は耳を伏せて尾を垂れて去って行きました。つまり、禹(う)は死と生の分かれ目と、利と外の常に変わらない道理をよく理解しているのです。

(生死は道によるものであり、利と害もまた道によるものであるから、道を修め道に従って行動することに力を注ぎ、他の心配事を持たないということです。)

そもそも、人というものは、陰の気と陽の気の変化によって生まれたものであり、陰の気と陽の気というものは、天を作ってあらゆる物事を成し遂げさせるものなのです。萬物に生まれつきの性質を与える天というものは、元々衰えたり尽きたり廃れたり退いたりということがあり、盛んになったり満ち溢れたり、集まったり増えたりということがあるのです。人はまた同時に、苦しんだり行き詰ったり、屈したり(物事が)乏しくなったりすることがあり、満ち溢れたり豊かになったり、物事が上手くいくようになったり、物事を成し遂げることが出来るようになったりすることがあるのです。これらは皆、天というものが物の道理を含んでいることによるものであり、他の心配事は存在しなくなってくるのです。

(道を修め道に従うだけであり、他の心配事は存在しなくなってくるのです。)

ですから、昔の知恵と徳に優れた聖人は、私心や邪念を思うことによって、自分の精神の生まれ持った優れた部分を傷付けることが無く、安らかに天命(てんめい:運命)を待つだけなのです。

(道を修め、道に従うことは天に従うことであり、そのために努力をするだけで、後は静かに天命(てんめい:運命)を待つだけなのです。)


更に補足しますと、私心や邪念を心の中に入れないように、まだ言動が実際には現れていない未発(みはつ)の段階から反省して、それによって心の中を戒めることによって(未発の中)、実際の言動を正していく(已発の中)が大切なのです。

(四書の『大学』『中庸』の「慎独(しんどく:人のいない所で悪い事をしないことが、人前で良い事をする基礎となる)」の南宋(なんそう)の朱熹(しゅき)の考え(心の中に思う段階から反省する)より。)

それを道を修める中で行い、道というものを身に付けていくことを唯一の心配事として、他の物事を心配することを減らしていく、ということです。


■現代語訳:

易は、天地に則って同様なものと考えるのです。ですから易は上手く天地の道を広く行き渡るように、身に纏うように身に付けるのです。

(易が天下にある様子は、あらゆる物事を包み纏って、それによって天地の間のあらゆる物事を言うためのものが備わっているのです。これを「天地に則る」と言っているのです。)

天を見上げて、天にある様々な天体の現象をじっくりと見て、地を見下ろして、地にある様々な天地の様子を察するのです。このような理由で、あらゆる物事の中にある、天の目には見えない微かな部分から、地の目に見えるはっきりとした部分を知るのです。

あらゆる物事が物事の始め(生の更に始め、性(せい:天より受けた、生まれ持った優れた部分))を尋ね求めて、物事の終わり(死の更に果て、命(めい:天が与えた運命・性質))に帰り着くことを知ることが出来るのです。ですから死生の存在する所を知るのです。

つまり、生まれる始めも死んだ果ても、天、更に言えば道に従うものであるから、道を修め、道に従うことで、生まれ持った性質をさらに磨きをかけて保つ、このことに力を注ぎ、他の心配事を持たない、そのことを「死生の存在する所を知る」と言っているのです。

(道を修める際には、まだ言動が実際には現れていない未発(みはつ)の段階から反省して、それによって心の中を戒め(未発の中)、実際の言動を正していく(已発の中)という「慎独(しんどく)」を心の中に思う段階から反省するようにして行っていくのです。)


●付録その二:

 『龍楡生詞學四種(りゅうゆせいしがくよんしゅ)・唐宋詞格律(とうそうしかくりつ)』P131(上海古籍出版社、2014年)によりますと、この「宴山亭(山亭(さんてい)に宴(うたげ)す)」という、填詞(てんし)の詞譜(しふ:又は詞牌(しはい))という譜面は、次の通りです。この填詞(てんし)は九十九字で、前半後半それぞれ五箇所で仄声(そくしょう)による押韻をしています。これは北宋(ほくそう)の趙佶(ちょうきつ)、つまり北宋(ほくそう)の八代目の皇帝の徽宗(きそう)の填詞(てんし)を元にしたものです。今回はそれに基づいて、前半と後半の五言句の所は、二文字・三文字のリズムでは無く、一文字・二文字・二文字のリズムで詠んでいます。

○:平声(ひょうしょう)
●:仄声(そくしょう)
△:平声(ひょうしょう)でも仄声(そくしょう)でもどちらでも可
■:仄声(そくしょう)の押韻(おういん:韻を踏む)
「,」:句点(くてん:句の分かれ目)
「、」:逗点(とうてん:一句で意味が終わらず、次の句と併せて一つの意味を構成する)
「。」:押韻(おういん:韻を踏む)


 △●○○,○●●○,●●○○○■。○●●○,●●○○,△●●○○■。●●○○,●○●、△○○■。○■。●●●○○,●○○■。

 ●(<-これは前半と後半の分かれ目の部分の目印です。仄声(そくしょう)ではありません。)

 ○●○●○○,●△●○○,●○○■。○○●●,●●○○,○○●○○■。●●○○,△△●、△○○●,○■。○●●、○○●■。


佐村 昌哉(筆名:白川 玄齋)

この記事へのコメント

  • 美舟

    マラソンは私も大好きです。
    本当に大変な競技だと思います。
    そして、景色も素敵。
    時に今回はリオの美しい景色が見れて良かったな〜って思います。
    力強く、そして美しく・・・
    素晴らしいお作品だと思いました。
    毎日暑いです。
    そして台風も近づいてきてます。
    くれぐれもご体調にはお気をつけ下さいませね。
    良い週末をお過ごし下さいませ。
    2016年08月26日 15:08
  • 佐村 昌哉(筆名:白川 玄齋)

    > 美舟さん

    おはようございます。温かいコメントをありがとうございます。

    はい。 50km の競歩と同様に、これほど過酷な種目も無いなと思います。
    景色、特に女子マラソンの方が晴れていて良い景色が眺められました。

    景色の見事さと競争の過酷さ、良い知らせを伝える喜び、
    マラソンのポイントがきちんと描かれていると良いなと思います。

    暑い日々で天候も安定せず、巨大台風が近づいている、
    そんな中でニュースをきちんと確認しつつ、
    体調に気を付けて治療を続けながら頑張っていきます。

    美舟さんも良い土曜日の一日をお過ごし下さい。
    2016年08月27日 09:32