漢詩「悼三笠宮崇仁親王薨去」(五言排律)

60_悼三笠宮崇仁親王薨去_2016_10_27.png


●原文:

 悼三笠宮崇仁親王薨去  玄齋 佐村 昌哉  大阪市

十 月 秋 深 候  親 王 逝 去 天

參 謀 慚 血 戰  壯 士 學 靑 編

上 古 知 生 活  近 東 懷 舊 篇

繙 書 存 得 興  致 思 不 能 眠

炯 炯 吟 燈 冷  堂 堂 史 實 鮮

再 三 昭 和 失  百 歳 感 登 仙


●書き下し文:

 題:「三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんわう)の薨去(こうきよ)を悼(いた)む」

十月(じふぐわつ) 秋(あき) 深(ふか)まりし候(こう)
親王(しんわう) 逝去(せいきよ)の天(てん)

參謀(さんぼう) 血戰(けつせん)を慚(は)ぢ
壯士(さうし) 靑編(せいへん)を學(まな)ぶ

上古(じやうこ)の生活(せいかつ)を知(し)らんと
近東(きんとう)の舊篇(きうへん)を懷(おも)ふ

書(しよ)を繙(ひもと)きて興(きよう)を得(う)ること存(あ)りて
思(おも)ひを致(いた)して眠(ねむ)る能(あた)はず

炯炯(けいけい) 吟燈(ぎんとう) 冷(ひ)ややかに
堂堂(だうだう) 史實(しじつ) 鮮(あざ)やかなり

再三(さいさん) 昭和(せうわ) 失(うしな)へり
百歳(ひやくさい)の登仙(とうせん)に感(かん)ず

「參」の新字体は「参」、「戰」の新字体は「戦」、「壯」の新字体は「壮」、「學」の新字体は「学」、「舊」の新字体は「旧」、「懷」の新字体は「懐」、「實」の新字体は「実」
「親王(しんわう)」の新仮名遣いは「親王(しんのう)」
「十(じふ)」の新仮名遣いは「十(じゆう)」
「月(ぐわつ)」の新仮名遣いは「月(がつ)」
「慚(は)ぢ」の新仮名遣いは「慚(は)じ」
「壯(さう)」の新仮名遣いは「壯(そう)」
「上(じやう)」の新仮名遣いは「上(じよう)」
「舊(きう)」の新仮名遣いは「舊(きゆう)」
「懷(おも)ふ」の新仮名遣いは「懷(おも)う」
「能(あた)はず」の新仮名遣いは「能(あた)わず」
「堂(だう)」の新仮名遣いは「堂(どう)」
「昭(せう)」の新仮名遣いは「昭(しよう)」
「失(うしな)へり」の新仮名遣いは「失(うしな)えり」


●現代語訳:

 題:「三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう)のご薨去(こうきょ)を悼んで漢詩に詠みました」

 十月の秋が深まった時節に、
 (三笠宮崇仁)親王が亡くなられた日の空を眺めていました。

 親王は参謀(さんぼう:高級指揮官の幕僚として、作戦などの計画に参与し、補佐する将校)であった時に、血みどろになった戦いを恥ずかしく思われて、
 壮年(そうねん:三十歳頃)の親王は、歴史書を学ばれました。

 私は大昔の人々の生活を知ろうと思って、
 親王がオリエントについて、以前に書かれた原稿のことを思っていました。

 その親王の著された書物を繙いて読むと、面白みを得ることがあって、
 そのことに思いを致すと、眠ることが出来ませんでした。

 詩人の灯火は、冷たく光り輝いている中で、
 歴史上の事実は、雄大で鮮やかに描かれていました。

 度々、昭和が失われたような気持ちになり、
 百歳で、天に上って仙人になられた(亡くなられた)ことに感じるものがありました。


●語注:

※薨去(こうきよ)(小書き文字を使うと「こうきょ」):日本語で、「皇族、または三位〔さんみ〕以上の人の死をいう。」(『韻字源』P873)とあります。こちらは日本語ですので、漢詩の詩句の中では「逝去(せいきょ)」を使っています。

※逝去(せいきよ)(小書き文字を使うと「せいきょ」):「しぬ。なくなる。長逝。永眠。」(『新字源』P999)

※参謀(參謀)(さんぼう):①「謀議に加わること。また、その人。」②「高級指揮官の幕僚として、作戦・用兵などの計画に参与し、補佐する将校。」(Web サイト『goo国語辞書』の「参謀」の検索結果< http://dictionary.goo.ne.jp/jn/92050/meaning/m0u/ >(アクセス日:平成二十八年十月三十日(日)))、ここでは②の意味で用いています。

※血戦(血戰)(けつせん)(小書き文字を使うと「けっせん」):「血みどろになって戦う。また、その戦い。」(『新字源』P895)

※青編(靑編)(せいへん):①「卽靑絲簡編。」②「借指史籍。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Web サイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)、詞彙(しい)」の「靑編」の検索結果< http://sou-yun.com/QueryAllusion.aspx >(リンクを防止するため、「:(コロン)」は全角にしています。)(アクセス日:平成二十八年十月三十日(日))))、つまり、①「つまり、青い糸を用いて重ね続けて出来た書簡のことで、広く歴史書一般をさします。」②「この『青編(靑編)(せいへん)』と言う言葉を借りて、歴史書を指します。」という意味で、どちらも歴史書を指していることが分かります。

※青糸簡編(靑絲簡編)(せいしかんぺん):「用靑絲聯綴成的簡書。泛指古代史冊。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Web サイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)、詞彙(しい)」の「靑絲簡編」の検索結果< http://sou-yun.com/QueryAllusion.aspx >(リンクを防止するため、「:(コロン)」は全角にしています。)(アクセス日:平成二十八年十月三十日(日))、つまり、「青い糸を用いて連ね続けて出来た書簡にして、広く古代の歴史書一般をさします。」という意味です。))

※連綴(=聯綴)(れんてい):「連なり続く。連ね続ける。」(『新字源』P1003)

※簡書(かんしよ)(小書き文字を使うと「かんしょ」):①「命令などの書きつけ。」②「手紙。書翰。」(『新字源』P758)ここでは②の意味で用いています。

※史冊(しさつ):「歴史の記録。歴史書。」(『新字源』P162)

※史籍(しせき):「歴史を記述した書物。史書〔ししょ〕。」(Web サイト『goo国語辞書』の「史籍」の検索結果< http://dictionary.goo.ne.jp/jn/96954/meaning/m0u/ >(アクセス日:平成二十八年十月三十日(日)))

※史書(ししよ)(小書き文字を使うと「ししょ」):「歴史を記した書物。歴史書。」(Web サイト『goo国語辞書』の「史書」の検索結果< http://dictionary.goo.ne.jp/jn/96954/meaning/m0u/ >(アクセス日:平成二十八年十月三十日(日)))

※壮士(壯士)(そうし(さうし)):「壮年〔そうねん:「三十歳ごろ。」(『新字源』P228)〕の男。」(『新字源』P228)

※太古(たいこ):「おおむかし。」(『新字源』P239)

※近東(簡体字で「近东」)(きんとう):「トルコ、シリアなどヨーロッパに近い東方諸国。」(『中日辞典(ちゅうにちじてん)』P717、北京・商務印書館、小学館共同編集、1992年(平成四年)初版)のことで、「オリエント」を指します。

※炯炯(けいけい):「光りかがやくさま。」(『新字源』P617)

※堂堂(どうどう(だうだう)):「いかめしくりっぱなさま。雄大なさま。」(『新字源』P219)

※史実(史實)(しじつ):「歴史上の事実。」(Web サイト『goo国語辞書』の「史実」の検索結果< http://dictionary.goo.ne.jp/jn/96183/meaning/m0u/ >(アクセス日:平成二十八年十月三十日(日)))

※再三(さいさん):「二度も三度も。たびたび。」(『新字源』P100)

※登仙(とうせん):「天に上って仙人になる。」(『新字源』P684)という意味で、ここでは「亡くなる」ことを指しています。


●解説:

 今回は、三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう)が今年の十月二十七日に薨去されたことを悼んで、五言排律の漢詩に詠みました。

 崇仁親王は戦時中には参謀として軍隊に勤務されていて、その時の体験から歴史を学ぶことの大切さを知ることにより、古代オリエントの歴史の学習と研究に力を入れられました。その著書のうちの一冊、『生活の世界歴史 - 1 - 古代オリエントの生活』を読みました。

 その中でも特に、アッシリア帝国の王であったエサルハドン(在位前680 - 669)のエジプト遠征を記念した戦勝碑の解説の部分では、その碑文の虚偽ともいえる部分や、このエサルハドンの出生や国王と司祭の上下関係などから、このエサルハドンという人物のあらゆる面を解き明かして尽きることが無い位です。昔の専制主義の中でも国王が本当に自由に権力を行使するということは無く、常に占星術師や司祭の助けによって政治を行い、彼らとの緊張関係が国王の権力を縛っていた面があることなどは、新たな発見であり、今では施政者を制約するものとして憲法がその役目を担っていることにも思いを致して、感慨深いものがありました。

 親王は皇族としてはもちろんですが、歴史学者としても尊敬できる方であることを知り、とても感動しました。百歳という年齢で亡くなられたことがとても惜しまれます。とても高い年齢まで生きられたこの方が亡くなることによっても、昭和という時代が失われていく象徴のように思われて、寂しい気持ちがします。歴史を元にした視点で戦争というものをきちんと振り返ることが出来る、そのような方がこれからも沢山出てくることを願っています。

実際に漢詩を作っていく中で、こういう気持ちをきちんと漢詩にすることの大切さを改めて知りました。体調をきちんと整えて自宅での治療をしていきながら、これからもしっかりと努力を重ねていきます。


佐村 昌哉(筆名:白川 玄齋)

この記事へのコメント

  • 美舟

    歴史を学ばれ、歴史学者としても名高い方なのですよね。
    皇族の方々は、色々と研究されて発表されていますよね。
    研究し、学び、残して行く・・・
    やはり国民の象徴なのだなと改めて尊敬致します。
    しかし昭和という時代が歴史になってきますよね・・・
    私は昭和生まれですが、平成生まれの方々がこれからどんどん時代を作られて行くのでしょう。
    またそれも歴史として刻み込まれて行くのでしょうね。
    昭和・・・少し寂しいですが、それも時代の流れ・・・なのでしょうね。

    さて、改めて1日からブログスタートしました。
    頂いた大切なお言葉を消去することになってしまい、大変失礼致しました。
    まさかこんなことになってしまうとは・・・辛いです。
    でもまた、一から再スタートと思い、これから頑張っていこうと思います。
    改めて、どうぞ今後とも宜しくお願い致します。
    2016年11月02日 17:12
  • 泥舟

    お亡くなりになられ謹んでお悔やみ申し上げます
    皇族の方々のお仕事が多忙と聞いておられます
    その中で 非常に長生きをされ 長きにわたるご公務
    それはそれは大変だったと思います
    また歴史学としてもご尽力されたようですね
    そんな気持ちを読まれた漢詩
    素敵だと思います
    2016年11月05日 12:53
  • 佐村 昌哉(筆名:白川 玄齋)

    > 美舟さん

    こんにちは。温かいコメントをありがとうございます。

    はい。皇族の方々それぞれが課題を持って研究されているお姿は素敵だなと思います。こういう部分も象徴なのがとても印象的です。その中でも三笠宮崇仁殿下の古代オリエントの研究は読んでいてもとても面白く、今の時代にも繋がる研究なのだなと思ってきちんと漢詩の中でも述べるようにしていました。

    私も昭和生まれの一人として、時代の移り変わりには物寂しいものがありますが、これからもしっかりと努力を重ねていこうと思います。

    美舟さんはブログの再スタートですか。私はこれから就職のための努力を重ねますので、長期間ブログをお休みします。その前にそちらのブログにも訪問いたします。

    美舟さんも良い土曜日の午後をお過ごし下さい。
    2016年12月17日 16:42
  • 佐村 昌哉(筆名:白川 玄齋)

    > 泥舟さん

    こんにちは。温かいコメントをありがとうございます。

    お忙しいご公務の中で御研究まで進められ、その上で百歳という長命を保たれたことが、何とも奇跡のような方だなと思います。今上の天皇陛下も長生きになるようにと願っています。

    こうして改めて一人の人物の事績を漢詩に述べるのもとても面白いものだと改めて思います。戦前戦後と波瀾の一生を過ごされたことが漢詩に少しでもきちんと述べられていればいいなと思います。これからもどんな努力をする時も没頭する気持ちを忘れないようにしていきます。

    泥舟さんも良い土曜日の午後をお過ごし下さい。
    2016年12月17日 16:49