漢詩「初夏訪山寺」(七言律詩)

07_初夏訪山寺_2017_05_13.png


●原文:

 初夏訪山寺  玄齋 佐村 昌哉  大阪市

危 峨 踏 破 到 山 巓  廣 大 伽 藍 在 眼 前

常 有 梵 經 鐘 鼓 響  時 離 世 態 古 今 遷

何 千 法 侶 觀 空 拙  唯 一 老 僧 忘 我 全

層 累 亭 臺 淸 淨 域  四 方 雲 海 遠 連 綿


●書き下し文:

 題:「初夏(しよか) 山寺(さんじ)を訪(と)ふ」

危峨(きが) 踏破(たふは)して山巓(さんてん)に到(いた)り
廣大(くわうだい)なる伽藍(がらん) 眼前(がんぜん)に在(あ)り

常(つね)に梵經(ぼんきやう) 鐘鼓(しようこ)の響(ひび)く有(あ)りて
時(とき)に世態(せたい) 古今(ここん)の遷(うつ)るを離(はな)る

何千(なんぜん)の法侶(ほふりよ) 空(くう)を觀(くわん)ずること拙(せつ)にして
唯一(ゆいいつ)の老僧(らうそう) 我(われ)を忘(わす)るること全(まつた)し

層累(そうるい)の亭臺(ていだい) 淸淨(しやうじやう)の域(ゐき)
四方(しはう)の雲海(うんかい) 遠(とほ)く連綿(れんめん)たり

「廣」の新字体は「広」、「經」の新字体は「経」、「觀」の新字体は「観」、「淸」の新字体は「清」、「淨」の新字体は「浄」
「訪(と)ふ」の新仮名遣いは「訪(と)う」
「踏(たふ)」の新仮名遣いは「とう」
「廣(くわう)」の新仮名遣いは「こう」
「經(きやう)」の新仮名遣いは「きよう(小書き文字を使うと「きょう」)」
「法(ほふ)」の新仮名遣いは「ほう」
「觀(くわん)」の新仮名遣いは「かん」
「老(らう)」の新仮名遣いは「ろう」
「淸淨(しやうじやう)」の新仮名遣いは「しようじよう(小書き文字を使うと「しょうじょう」)」
「域(ゐき)」の新仮名遣いは「いき」
「方(はう)」の新仮名遣いは「ほう」
「遠(とほ)く」の新仮名遣いは「遠(とお)く」


●現代語訳:

 題:「初夏に山寺を訪れた様子を漢詩に詠みました」

高い山を踏み歩いて、山の頂上に辿り着くと、
広く大きなお寺が目の前にありました。

 常に仏教のお経の声や鐘と鼓(つづみ)の音が響いていて、
 その時には、世の中の有様の昔と今との移り変わりを離れていました。

何千もの僧侶の仲間達は、「空(くう:世の中の全ての物事は因縁によって生じる仮の姿で、実体が無いということ。)」を道理として深く考え知ることが拙く、
 唯一人、老いた僧侶だけは、我が身を忘れることが完全でした。

 幾重にも重なった東屋(あずまや)と台(うてな:「見晴らしのよい高い建物」(『新字源』P163))は、清らかで汚れの無い区域にあり、
 四方の麓には、雲が海のように遠くまで続いて絶えずに広がっていました。


●語注:

(以下、『新字源』は1994年(平成六年)十一月十日の改訂版を引用しています。)

(リンクを防止するため、海外のWebサイトのURLは、「:(コロン)」を全角にしています。)

※山寺(さんじ):「山中にある寺。やまでら。」(Webサイト『goo国語辞書』の「山寺」の検索結果 < https://dictionary.goo.ne.jp/jn/90781/meaning/m0u/ > (アクセス日:平成二十九年五月十三日(土)))

※危峨(きが):「山の高いさま。また、高い山。」(『新字源』P146)

※踏破(とうは(たふは)):「ふみ歩く。歩きまわる。破は、意味を強める助字〔じょじ〕。」(『新字源』P974)

※助字(じよじ)(小書き文字を使うと「じょじ」)(=助辞(助辭)(じよじ)(小書き文字を使うと「じょじ」):「主として名詞・動詞・形容詞など実質的な意味のある語を実字というのに対して、主として前置詞・副詞・接続詞・句末詞・否定詞・疑問詞など実字を助けて文字の意味の関係を表す語をいう。虚字。虚辞ということもある。」(『新字源』P125)

※山巓(さんてん):「山のいただき。山の頂上。」(『新字源』P301)

※広大(廣大)(こうだい(くわうだい)):「広く大きいこと。また、そのさま。」(Webサイト『goo国語辞書』の「広大」の検索結果 < https://dictionary.goo.ne.jp/jn/74044/meaning/m0u/ > (アクセス日:平成二十九年五月十三日(土)))

※伽藍(がらん):「てら。仏道を修行する所。」(『新字源』P53)

※梵経(梵經)(ぼんきよう(ぼんきやう))(小書き文字を使うと「ぼんきょう」):「貝葉經;佛經。」(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「凡經」の検索結果 < http://sou-yun.com/QueryAllusion.aspx > (アクセス日:平成二十九年五月十三日(土)))、つまり「貝葉経(ばいようきょう)、つまり仏教のお経。」のことです。

(参考:※貝葉樹(ばいようじゅ)とは、「タラヨウ.バイタラ.」という植物のことで、更に「インド産の常緑樹で,その葉は経文("貝葉經”)を書きつけるのに用いられた.」とあります。(「」内は『中日辞典』P65、1992年(平成四年)一月一日の初版、北京・商務部印書館、小学館))

※鐘鼓(しようこ)(小書き文字を使うと「しょうこ」):「鐘と、つづみ。」(『新字源』P1050)

※世態(せたい):「世俗の状態。世の中のありさま。」(『新字源』P19)

※古今(ここん):「①むかしと今。今古〔きんこ〕。②むかしから今まで。」(『新字源』P160)、ここでは①の意味で用いています。

※法侶(ほうりよ(ほふりよ))(小書き文字を使うと「ほうりょ」):「そうのなかま」(『詩語辞典』P209、河井酔荻編、東京松雲堂書店、昭和五十六年(1981年)十二月二十日の初版)

※空(くう):仏教用語で、「世の中のすべての物事は因縁によって生じる仮のすがたで、実体がないということ。」(『新字源』P739「空」の⑫)

※観空(觀空)(かんくう(くわんくう))(空(くう)を観(觀)(かん(くわん))ずる):「觀照諸法之空相也。」(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「觀空」の検索結果 < http://sou-yun.com/QueryAllusion.aspx > (アクセス日:平成二十九年五月十三日(土)))、つまり、「あらゆる物事が『空(くう)』〔前述〕であることを道理として深く考え知ることです。」ということです。

※観照(觀照)(かんしよう(くわんせう))(小書き文字を使うと「かんしょう」):ここでは、「物事の道理を深く考え知る。」(『新字源』P917)ということです。

※忘我(ぼうが(ばうが)):「①わが身をわすれる。②利己心をなくする。③夢中になる。」(『新字源』P361)、ここでは、①の意味で用いています。

※層累(そうるい):「いくえにも重なる。」(『新字源』P294)

※亭台(亭臺):「あずまやと、うてな。庭園と築山〔つきやま〕。」(『新字源』P38)

※清浄(淸淨)(しようじよう(しやうじやう)):「清らかでけがれがない。」(『新字源』P589)

※雲海(うんかい):ここでは、「山頂から見おろして雲が海のように見えるもの。」(『新字源』P1083)のことです。

※連綿(れんめん):「続いて絶えないさま。」(『新字源』P1003)
※危亭(きてい):「聳立於髙處的亭子。」(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「危亭」の検索結果 < http://sou-yun.com/QueryAllusion.aspx > (アクセス日:平成二十九年五月十三日(土)))、つまり、「高い所に聳え立つ東屋(あずまや)のことです。」ということです。


●解説:

 今回は、初夏に山寺を訪問する様子を、七言律詩の漢詩にしました。

 この漢詩は、私が所属している浪速菅廟吟社(なにわかんびょうぎんしゃ)の五月席題、「山寺危亭(さんじきてい:山寺の高い所に聳え立つ東屋(あずまや))」の七言絶句(一句目・二句目・七句目・八句目)を先に作り、それに二組の対句(三句目と四句目、五句目と六句目)を作って七言律詩にしたものです。

 山の頂上まで苦心して登り、その中にあるお寺の清らかで時間を感じさせない様子に、物事の移り変わりから離れるようであり、修行中の僧侶たちと一人の老僧との違い、そして東屋(あずまや)や台(うてな:見晴らしの良い高い建物)からの良い眺めを味わう、そんな様子を漢詩にしていました。

 私は車椅子の生活ですから、こういう場面を過去の記憶と共に思い浮かべ、漢詩にするのはとても良い気晴らしになります。実際に実体験をすることが少ないながらも工夫を凝らして漢詩を作っていくことが出来れば良いなと思います。少しずつでも実体験も増やしていけると良いなと思います。これからも普段の勉強とともにしっかりと頑張っていきます。


佐村 昌哉(筆名:白川 玄齋)

この記事へのコメント