漢詩「雨日読書」(七言律詩)

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●原文:

 雨日讀書  玄齋 佐村 昌哉  大阪市

黑 雲 成 雨 綠 成 陰  耕 稼 一 休 書 讀 深

舊 説 修 辭 沁 衰 骨  古 人 眞 意 入 幽 襟

山 蟬 咽 露 騒 松 樹  風 燕 描 弧 過 竹 林

未 見 自 然 行 狀 好  傾 頭 懊 悩 句 纔 吟


●書き下し文:

 題:「雨日(うじつ) 讀書(どくしよ)」

黑雲(こくうん) 雨(あめ)を成(な)し綠(みどり) 陰(かげ)を成(な)し
耕稼(かうか) 一(ひと)たび休(やす)みて書(しよ) 讀(よ)むこと深(ふか)し

舊説(きうせつ)の修辭(しうじ) 衰骨(すいこつ)に沁(し)み
古人(こじん)の眞意(しんい) 幽襟(いうきん)に入(い)る

山蟬(さんせん) 露(つゆ)に咽(むせ)びて松樹(しようじゆ)に騒(さわ)ぎ
風燕(ふうえん) 弧(こ)を描(えが)きて竹林(ちくりん)を過(す)ぐ

未(いま)だ自然(しぜん)の行狀(ぎやうじやう) 好(よ)きを見(み)ずして
傾頭(けいとう) 懊悩(あうなう) 句(く) 纔(わづ)かに吟(ぎん)ず

「讀」の新字体は「読」、「黑」の新字体は「黒」、「綠」の新字体は「緑」、「舊」の新字体は「旧」、「辭」の新字体は「辞」、「眞」の新字体は「真」、「狀」の新字体は「状」
「舊(きう)」の新仮名遣いは「きゆう(小書き文字を使うと『きゅう』)」
「修(しう)」の新仮名遣いは「しゆう(小書き文字を使うと『しゅう』)」
「幽(いう)」の新仮名遣いは「ゆう」
「行(ぎやう)」の新仮名遣いは「ぎよう(小書き文字を使うと『ぎょう』)」
「狀(じやう)」の新仮名遣いは「じよう(小書き文字を使うと『じょう』)」
「懊(あう)」の新仮名遣いは「おう」
「悩(なう)」の新仮名遣いは「のう」
「纔(わづ)かに」の新仮名遣いは「纔(わず)かに」


●現代語訳:

 題:「雨の日の読書をする光景を漢詩に詠みました」

 黒い雲は雨を起こして、草木の緑は影を作り上げていて、
 私は農作業を一度休んで深く本を読んでいました。

 古い説の整え修まった言葉が、私の衰えて弱った身体に沁みていき、
 昔の学者の真の気持ちが私の静かで奥深い思いに入っていきました。

 山の蝉は、露に咽ぶように、松の樹木の所で騒いでいて、
 風に乗るツバメは、弧を描いて、竹林を過ぎていきました、

 未だ自然の行ないの良さを見ることなく、
 考え込み、悩んで、やっと詩句を口ずさむことが出来たのです。


●語注:

(以下、『新字源』は1994年(平成六年)十一月十日発行の改訂版を引用しています。)

※耕稼(こうか(かうか)):「耕して穀物を植え付ける。農作をする。」(『新字源』P808)

※旧説(舊説)(きゆうせつ)(きうせつ)(小書き文字を使うと「きゅうせつ」):「以前に唱えられていた説。古い説。」(Webサイト『goo国語辞書』の「旧説」の検索結果 < http://dictionary.goo.ne.jp/jn/55197/meaning/m0u/ > (アクセス日:平成二十九年五月三十日(火)))

※修辞(修辭)(しゆうじ(しうじ))(小書き文字を使うと「しゅうじ」):「①ことばを整え修める。②言葉や文字にあやを付けて巧みに表現する。」(『新字源』P344)、ここでは、①の意味で用いています。(更に、付録を参照して下さい。)

※衰骨(すいこつ):「衰えて弱った身体。」のことです。

※古人(こじん):ここでは、「むかしの学者や有徳者。」(『新字源』P160)のことです。

※真意(眞意)(しんい):「本当の心。まことの気持ち。真の意義。」(『新字源』P699)

※意義(いぎ):「ことのわけ。意味。重要性。」(『新字源』P378)

※幽襟(ゆうきん(いうきん)):「静かで深い思い。襟〔きん〕は、心の意。」(『新字源』P324)

※風燕(ふうえん):「かぜにのる〔ツバメ〕」(『詩語辞典(しごじてん)』P203、河井酔荻編、東京松雲堂書店、昭和五十六年(1981年)十二月二十日発行の初版)

※行状(行狀)(ぎようじよう(ぎやうじやう))(小書き文字を使うと「ぎょうじょう」):ここでは、「品行。行ない。身持ち。行跡。」(『新字源』P897)のことです。

※行跡(行迹)(ぎようせき(ぎやうせき))(小書き文字を使うと「ぎょうせき」):ここでは、「身持ち。行ない。品行。」(『新字源』P897)のことです。

※傾頭(けいとう):「首をひねる。考え込む。思案する。」(『新字源』P78)

※懊悩(おうのう(あうなう)):「なやみもだえる。なやむ。」(『新字源』P389)


●解説:

 今回は、雨の日に読書をする光景を、七言律詩の漢詩にしました。

 晴れた日は農作業をして、雨の日には読書をする晴耕雨読(せいこううどく)の日々を過ごす農夫が、一度農作業を休んで深く読書をしている様子を述べ、昔の説の整え修まった言葉や、昔の学者の真の気持ちが心身に沁みわたっていく様子を述べ、自然の行いの良さを見ることなく、ひたすらに頭をひねり悩んだ末に詩句を口ずさむことが出来た、そんな風に思い浮かべて漢詩を作っていました。

 私は自宅療養中で、自宅療養の体調の良い日は読書や勉強の時間がしっかりと取ることが出来る今の環境に感謝しつつ、体調を整えて努力を続けていきます。

 以下、付録の部分は「修辞(しゅうじ)」という言葉の語源についてです。


●付録:

「修辞(修辭)(しゅうじ)」という言葉の語源は、儒学の経書の五経(ごきょう)の一つである『周易(しゅうえき:又は『易経(えききょう)』)』の乾(けん)の卦を更に繰り返して解説した「文言伝(ぶんげんでん)」の一節にあります。乾(けん)の卦の形は、以下の図1になります。(ちなみに、本文中では「脩辭」として出て来ます。「脩」は「修」の同義語です。)

乾.png

図1:乾(けん)の卦の形


■原文:

九三曰、君子終日乾乾、夕惕、若厲无咎、何謂也。子曰、「君子進德脩業。忠信、所以進德也。脩辭立其誠、所以居業也。知至至之、可與幾也。知終終之、可與存義也。是故居上位而不驕、在下位不憂。故乾乾因其時而惕、雖危无咎矣。」

■書き下し文:

九三(きふさん) 曰(いは)く、君子(くんし) 終日(しゆうじつ) 乾乾(けんけん)として、夕(ゆふ)べに惕(おそ)る、厲(あや)ふきが若(ごと)きも咎(とが) 无(な)しとは、何(なん)の謂(いひ)ぞや。子(し) 曰(のたまは)く、

「君子(くんし) 德(とく)を進(すす)め業(げふ)を脩(をさ)む。忠信(ちゆうしん) 德(とく)を進(すす)むる所以(ゆゑん)なり。辭(ことば)を脩(をさ)め其(そ)の誠(まこと)を立(た)つ、業(げふ)に居(を)る所以(ゆゑん)なり。至(いた)るを知(し)りて之(これ)に至(いた)る、幾(き)を與(とも)にすべきなり。終(を)はるを知(し)りて之(これ)を終(を)ふ、與(とも)に義(ぎ)を存(そん)すべきなり。是(こ)の故(ゆゑ)に上位(じやうゐ)に居(を)りても驕(おご)らず、下位(かゐ)に在(あ)りても憂(うれ)へず。故(ゆゑ)に乾乾(けんけん)として其(そ)の時(とき)に因(よ)りて惕(おそ)る、危(あや)ふきと雖(いへど)も咎(とが) 无(な)し。」

と。

「无」の新字体は「無」、「德」の新字体は「徳」、「與」の新字体は「与」
「九(きふ)」の新仮名遣いは「きゆう(小書き文字を使うと『きゅう』)」
「夕(ゆふ)べに」の新仮名遣いは「夕(ゆう)べに」
「厲(あや)ふき」の新仮名遣いは「厲(あや)うき」
「謂(いひ)ぞや」の新仮名遣いは「謂(いい)ぞや」
「曰(のたまは)く」の新仮名遣いは「曰(のたまわ)く」
「業(げふ)」の新仮名遣いは「ぎよう(小書き文字を使うと『ぎょう』)」
「脩(をさ)む」の新仮名遣いは「脩(おさ)む」
「所以(ゆゑん)」の新仮名遣いは「ゆえん」
「脩(をさ)め」の新仮名遣いは「脩(おさ)め」
「居(を)る」の新仮名遣いは「居(お)る」
「終(を)はる」の新仮名遣いは「終(お)わる」
「終(を)ふ」の新仮名遣いは「終(お)ふ」
「故(ゆゑ)に」の新仮名遣いは「故(ゆえ)に」
「上(じやう)」の新仮名遣いは「じよう(小書き文字を使うと『じょう』)」
「位(ゐ)」の新仮名遣いは「い」
「憂(うれ)へず」の新仮名遣いは「憂(うれ)えず」
「危(あや)ふき」の新仮名遣いは「危(あや)うき」
「雖(いへど)も」の新仮名遣いは「雖(いえど)も」


「九三(きふさん) 曰(いは)く~業(げふ)に居(を)る所以(ゆゑん)なり。」の部分は、北宋(ほくそう)の程頤(ていい)の註釈には、次のように述べています。

○原文:

三居下之上、而君德已著、將何爲哉。故進德脩業而已。内積忠信、所以進德也。擇言篤志、所以居業也。

○書き下し文:

 三(さん) 下(げ)の上(じやう)に居(を)り、而(しかう)して君德(くんとく) 已(すで)に著(あらは)る、將(まさ)に何(なに)をか爲(な)さんとするや。唯(ただ) 德(とく)を進(すす)め業(げふ)を脩(をさ)むるのみ。内(うち)に忠信(ちゆうしん)を積(つ)む、德(とく)を進(すす)むる所以(ゆゑん)なり。言(げん)を擇(えら)びて志(こころざし)を篤(あつ)くす、業(げふ)に居(を)る所以(ゆゑん)なり。

「將」の新字体は「将」、「爲」の新字体は「為」、「擇」の新字体は「択」
「居(を)り」の新仮名遣いは「居(お)り」
「而(しかう)して」の新仮名遣いは「而(しこう)して」
「著(あらは)る」の新仮名遣いは「著(あらわ)る」
「脩(をさ)むる」の新仮名遣いは「脩(おさ)むる」

○現代語訳:

 九三(きゅうさん:下から三番目の陽の爻(こう:卦を構成する六本の陰と陽を示す線))は上下の八卦のうち、下半分の卦(内卦(ないか))のうちの一番上(三番目)にあって、乾(けん(☰):下半分の八卦)の勢いが増して、そして君主としての徳が、(低い身分ながらも)既に現われています。そんな九三(きゅうさん)は、今まさに何をしようとするのでしょうか。単に自分自身の徳を押し進めて、その地位の職務(三は中間管理職)を学ぶだけなのです。心の中に真心を蓄える(心の中に真心を持ち、真心を持った言葉を使う)ことは、自分自身の徳を押し進める手段(必要なこと)なのです。言葉を選んで志を更に熱心にする(言葉を整えて、熱心な志を持って職務に励む)のは、その職務に留めるための手段(必要なこと)なのです。

※忠信(ちゆうしん)(小書き文字を使うと「ちゅうしん」):「まごころ。忠は心についていい、信はことばについていう。」(『新字源』P362)


 「至(いた)るを知(し)りて~幾(き)を與(とも)にすべきなり。」の部分は、魏(ぎ)と晋(しん)の間の時代の学者の翟玄(てきげん)の註釈には、次のように述べています。(原文は唐(とう)の李鼎祚(りていそ)の『周易集解(しゅうえきしっかい)』より。)

○原文:

翟玄曰、「知五可至而至之、故可與行幾微之事也。」

○書き下し文:

 翟玄(てきげん) 曰(いは)く、

「五(ご)を知(し)りて至(いた)るべくして之(これ)に至(いた)る、故(ゆゑ)に與(とも)に幾微(きび)の事(こと)を行(おこな)ふべきなり。」

「行(おこな)ふ」の新仮名遣いは「行(おこな)う」

○現代語訳:

 翟玄(てきげん)は次のように言いました。

「九五(きゅうご:下から五番目の陽の爻(こう)で、君主の位にあり、正しい位置(五番目は陽の爻(こう)が正しい)にいる、果断で優れた君主)のことを知り、そしてこの九五(きゅうご)の君主に仕えようと思って勤め励んで今の地位に至ったのが九三(きゅうさん:下から三番目の陽の爻(こう))なのです。ですから、九五(きゅうご)の君主に真心を持って仕えて勤め励んだその結果、九三(きゅうさん)は九五(きゅうご)と共に物事の微かな兆しがあるうちに物事に対処するということが出来るのです。」

と。

※幾微(きび):「かすかなきざし。けはい。」(『新字源』P325)


 「終(を)はるを知(し)りて~與(とも)に義(ぎ)を存(そん)すべし。」の部分は、魏(ぎ)と晋(しん)の間の時代の呉(ご)の学者の姚信(ようしん)の註釈には、次のように述べています。(原文は唐(とう)の李鼎祚(りていそ)の『周易集解(しゅうえきしっかい)』より。)

○原文:

姚信曰、「知終者、可以知始。終謂三也。義者、宜也。知存知亡、君子之宜矣。」

○書き下し文:

 姚信(えうしん) 曰(いは)く、

「終(を)はりを知(し)る者(もの)は、以(もつ)て始(はじ)まりを知(し)るべし。終(しゆう) 三(さん)を謂(い)ふなり。義(ぎ)なる者(もの)は、宜(ぎ)なり。存(そん)するを知(し)りて亡(ほろ)ぶを知(し)る、君子(くんし)の宜(ぎ)なり。」

「姚(えう)」の新仮名遣いは「姚(よう)」
「終(を)はり」の新仮名遣いは「終(お)わり」

○現代語訳:

 姚信(ようしん)は次のように言いました。

「物事の終わりを知る人は、それによって始まりを知ることが出来るのです。つまり、最後までうまくやり遂げようと思えば、最初の頃から気を付けていなければならないからです。『終わり』とは、九三(きゅうさん:下から三番目の陽の爻(こう)。内卦(ないか:下半分の八卦)の終わりを示します。)のことを言います。義(ぎ:思いやりの心である仁(じん)の基づいた物事の筋道)とは、宜(ぎ:物事の丁度程良い所)を示すのです。物事の最初を知り最期を知る、つまり物事を最初から最後までうまくやり遂げるというのは、修養に優れた君子(くんし)の、物事の丁度良い所にあると言うのです。」

と。


以上より、乾(けん)の卦の文言伝(ぶんげんでん)の一節の現代語訳は、次の通りです。

■現代語訳:

 乾(けん)の卦の九三(きゅうさん:下から三番目の陽の爻(こう))の爻辞(こうじ:それぞれの爻(こう)を解説した言葉)では、次のように言っています。

「修養に優れた九三(きゅうさん)の君子(くんし)は、一日中、乾乾(けんけん)と勤め励んで、夕方には一日の反省を恐れ慎んで行うのです。これは危うい状況でありながらも、反省をすることで咎めとなるようなことを免れるのです。」

と。一体これは何を言っているのでしょうか。これについて、孔子(こうし)は次の世に申していました。

「九三(きゅうさん)は内卦(ないか)の終わり、つまり乾(けん(☰):下半分の八卦)の勢いが増して、それでいて君主としての徳が、低い身分ながらも既に現われています。そんな位の高い九三(きゅうさん)の君子(くんし)は何をするかと言えば、単に自分自身の徳を押し進めて、その地位(中間管理職(三)の地位)の職務を学ぶだけなのです。真心(心の中に真心を持ち、真心を持った言葉を使うこと)は、自分自身の徳を押し進めるための手段(必要なこと)なのです。言葉を整えて熱心な志を持って職務に励むことは、その職務に留まるための手段(必要なこと)なのです。九五(きゅうご)の果断で優れた君主(五(ご:下から五番目)は君主の位で、陽の爻(こう)が正しい位置。九五(きゅうご)はそれを兼ね備えている)のことを知り、この九五(きゅうご)の君主に仕えようと思って勤め励んで、今の地位に至ったのが九三(きゅうさん)なのです。そして九五(きゅうご)の君主に真心を持って仕えて勤め励んだ結果、九五(きゅうご)と共に物事の微かな兆しがあるうちから物事に対処することが出来るのです。物事の最初から慎んで行なって、最後までそれをやり遂げることが出来る(始めから終わりを全う出来る、そのためには最初から慎んで行う必要があることを知る)人(九三(きゅうさん))とは、九五(きゅうご)は共に物事の筋道を保つように物事に対処することが出来るのです。九三(きゅうさん)はこのような人物ですので、上の立場(内卦(ないか)の終わり)にいても驕ること無く(九五(きゅうご)を知って仕えて勤め励もうとするからこそ、志を高く以職務に励むことが出来るのです。)、下の立場(内卦(ないか))にいてもあれこれと思い悩んだことが無い(上の地位に行くほど危うい状況を把握して恐れ慎む必要があるということを自覚しているのです。)のです。ですから乾乾(けんけん)と勤め励んで、その時(低い地位にいながら高い徳を持つということの危うさを感じる時、一日の終わり)に従って恐れ慎んで反省する、というのは、危うい状況にいながらも、それによる咎めを免れるのです。」

と。


佐村 昌哉(筆名:白川 玄齋)

この記事へのコメント

  • 美舟

    ブログの方ではご無沙汰でございます。
    展覧会作品作りが終わり、一旦休憩って感じです。
    ブログとかも少しずつ復活かなと思っています。
    昨夜はこちらは台風並みに大雨と雷でございました。
    関西の方もそうだったのかなと思われます。
    うるさくて怖いですし、なんだか眠れずに、私は読書でなくネットサーフィンしてました!(笑)
    雨の日には、ゆっくりと読書って良いですね。
    では、素敵なお作品を拝見しに、また伺いますね。
    良い金曜の夜をお過ごし下さいませね。
    2017年06月02日 17:43
  • 佐村 昌哉(筆名:白川 玄齋)

    > 美舟さん

    こんばんは。温かいコメントをありがとうございます。
    こちらは風と雨が凄かったです。竜巻かと思いました。。。

    はい。雨の日は読書が良いなと思っています。
    まとまった時間にまとまったページ数を読むと、
    読んだ実感も沸いてきますね。

    そんな中で読書に没頭し、詩句に頭を悩ませる中でも、
    自然の光景に目を向けられるように、そんな戒めの意味を込めて
    漢詩を作っていました。

    展覧会への作品作りお疲れ様です。
    良い土曜日の夜をお過ごし下さい。

    週末もしっかりと頑張っていきます。
    2017年06月03日 21:53