漢詩「東籬看菊」(七言律詩)

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●原文:

 東籬看菊  玄齋 佐村 昌哉  大阪市

孰 廬 黃 菊 在 東 籬  重 九 陶 家 到 宅 知

五 柳 先 生 迎 醉 客  數 樽 芳 酒 酌 吟 卮

杯 中 嫩 蕊 鮮 晴 日  襟 裏 雅 文 佳 盛 時

暫 眺 瓊 英 談 有 事  併 呑 淸 濁 聖 賢 詞


●書き下し文:

 題:「東籬(とうり) 菊(きく)を看(み)る」

孰(たれ)の廬(いほり)か黃菊(くわうぎく)の東籬(とうり)に在(あ)るは
重九(ちようきう)の陶家(たうか)の宅(たく)に到(いた)るを知(し)る

五柳先生(ごりうせんせい) 醉客(すいかく)を迎(むか)へ
數樽(すうそん)の芳酒(はうしゆ) 吟卮(ぎんし)を酌(く)む

杯中(はいちゆう)の嫩蕊(どんずい) 晴日(せいじつ)に鮮(あざ)やかに
襟裏(きんり)の雅文(がぶん) 盛時(せいじ)に佳(よ)し

暫(しばら)く瓊英(けいえい)を眺(なが)めて有事(いうじ)を談(だん)じ
淸濁(せいだく)を併(あは)せ吞(の)む聖賢(せいけん)の詞(ことば)

「黃」の新字体は「黄」、「醉」の新字体は「酔」、「數」の新字体は「数」、「晴」の新字体は「晴」、「淸」の新字体は「清」
「廬(いほり)」の新仮名遣いは「いおり」
「黃(くわう)」の新仮名遣いは「こう」
「九(きう)」の新仮名遣いは「きゆう(小書き文字を使うと『きゅう』)」
「陶(たう)」の新仮名遣いは「とう」
「柳(りう)」の新仮名遣いは「りゆう(小書き文字を使うと『りゅう』)」
「迎(むか)へ」の新仮名遣いは「迎(むか)え」
「芳(はう)」の新仮名遣いは「ほう」
「有(いう)」の新仮名遣いは「ゆう」
「併(あは)せ」の新仮名遣いは「併(あわ)せ」


●現代語訳:

 題:「東の籬(まがき:竹や柴で目を粗く編んだ垣根)で菊を眺める様子を漢詩に詠みました。」

 誰の粗末な小屋でしょうか、黄色い菊が東の籬(まがき)にあるのは。
 陰暦九月九日の重陽(ちょうよう)の節句に、東晉(とうしん)の詩人である陶潜(とうせん:字(あざな)は淵明(えんめい))の家にやって来たのを知るのです。

 五柳(ごりゅう)先生を自称する陶潜(とうせん)は、酒に酔った男を迎え、
 数個の酒樽の良いお酒を、詩人の杯(さかずき)で酌んでいました。

 酒杯の中の、咲こうとする菊の花が、晴れた日に鮮やかに見えて、
 胸の内の正しい文章は、太平の世に良いものでした。

 暫く美しい菊の花を眺めて、起こった事件について静かに話し、
 その中では、清濁(清酒と濁り酒)を併せ飲むような聖人(せいじん:知恵と徳の優れた最高の人格者)や賢人(けんじん:聖人に次いで徳のある人)の言葉がありました。


●語注:

(以下、『新字源』は1994年(平成六年)十一月十日発行の改訂版を引用しています。)

(以下、海外のWebサイトのURLは、リンクを防止するために、「:(コロン)」を全角にしています。)

※東籬(とうり):「東のまがき。『東籬〔とうり〕の君子〔くんし〕』は、菊のこと。」(『新字源』p.495)

※籬(まがき):「1 竹や柴などで目を粗く編んだ垣根。ませ。ませがき。2 遊郭で、遊女屋の入り口の土間と店の上り口との間の格子戸。3 『籬節(まがきぶし)』の略。」(Webサイト『goo国語辞書』の「まがき」の検索結果 < https://dictionary.goo.ne.jp/jn/207203/meaning/m0u/ > (アクセス日:平成二十九年九月三日(日)))、ここでは、1の意味で用いています。

※重九(ちようきゆう)(小書き文字を使うと「ちょうきゅう」):「重陽〔ちようよう(ちようやう)(小書き文字を使うと「ちょうよう」)〕の②に同じ。」(『新字源』p.1031)

※重陽(ちようよう(ちようやう))(小書き文字を使うと「ちょうよう」):「①天。陰暦九月九日。この日、高いおかなどに登り、茱茰〔しゆゆ(小書き文字を使うと『しゅゆ』)〕(かわはじかみ)の実を頭にさしはさむと邪気を払うとされた。九は陽の数で、九が重なるから重陽という。菊の節句。」(『新字源』p.1032)

※陶家(とうか(たうか)):「東晉(とうしん)の詩人である陶潜〔とうせん(たうせん)〕の家。」のことです。

※陶潜(陶潛)(とうせん(たうせん)):「三六五?―四二七。東晉〔とうしん〕の自然詩人。潯陽〔じんよう(じんやう)〕(江西省九江)の人。字〔あざな〕は淵明〔えんめい(ゑんめい)〕。五柳先生と自称し、世に靖節〔せいせつ〕先生とよばれた。彭沢〔彭澤〕〔ほうたく(はうたく)〕県令〔県知事〕になったが、八十余日で辞職し、『帰去来辞〔歸去來辭〕(ききよらいのじ)(小書き文字を使うと『ききょらいのじ』)』を作った。酒と菊を愛し、田園生活の実感を詩にえがいた。後世の文学にあたえた影響が大きい。」(『新字源』p.1070)

※五柳先生(ごりゆうせんせい(ごりうせんせい))(小書き文字を使うと「ごりゅうせんせい」):「晉〔しん〕の陶淵明〔とうえんめい〕(名は潜〔潛〕〔せん〕)。家の門前に五本のやなぎを植えて、五柳先生と自称した。」(『新字源』p.34)

※酔客(醉客)(すいかく):「酒に酔った男。」(『新字源』p.1026)

※芳酒(ほうしゆ(はうしゆ))(小書き文字を使うと「ほうしゅ」):「よいさけ」(『詩語辞典(しごじてん)』p.145、河井酔荻編、東京松雲堂書店、昭和五十六年(1981年)十二月二十日発行の初版)

※吟卮(ぎんし):「詩人の杯〔さかずき(さかづき)〕。」のことです。「卮〔し〕」は「四升の大きなさかずき。」のことです。

※卮(し):「①さかずき(さかづき)。四升(約七・二リットル)入りの大杯。②とりとめのない。ばらばらの。③べに。臙脂〔えんじ〕」(『新字源』p.145)、ここでは、①の意味で用いています。

※嫩蕊(どんずい):「含苞欲放的花。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「嫩蕊」の検索結果 < http://sou-yun.com/QueryAllusion.aspx > (アクセス日:平成二十九年九月二日(土))))、つまり、「蕾を持つ、咲こうとする花。」のことです。

※襟裏(きんり):「胸の内。」のことです。

※雅文(がぶん):「①正しい文章・学問。②みやびやかなこと。」(『新字源』p.1078)、ここでは、①の意味で用いています。

※盛時(せいじ):「①栄えていること。盛世〔せいせい〕。②わかくて元気な時代。壮年。」(『新字源』p.692)、ここでは、①の意味で用いています。

※盛世(せいせい)(=盛代(せいだい)):「栄えている時代。太平の世。」(『新字源』p.692)

※瓊英(けいえい):「(1)似玉的美石。(2)喩美麗的花。(3)喩雪花。(4)比喩美女。(5)比喩美妙的詩文。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『goo国語辞書』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「瓊英」の検索結果 < http://sou-yun.com/QueryAllusion.aspx > (アクセス日:平成二十九年九月二日(土))))、つまり、(1)玉(ぎょく)に似た美しい石。(2)美しい花の喩え。(3)空から降ってくる雪の喩え。(4)美女の比喩。(5)奥深い詩や文章の比喩。」という意味です。ここでは、(2)の意味で用いています。

※有事(ゆうじ(いうじ)):「①仕事がある。職務がある。②事件が起こる。起こす。」(『新字源』p.481)、ここでは、②の意味で用いています。

※聖賢(せいけん):「①聖人と賢人。②清酒と濁酒。」(『新字源』p.810)、ここでは、①の意味で用いていますが、②の意味を暗ににおわせています。

※聖人(せいじん):「①知恵のすぐれた最高の人格者。ひじり。聖者。②天子の尊称。③清酒の別名。」(『新字源』p.810)、ここでは、①の意味で用いていますが、③の意味を暗ににおわせています。

※賢人(けんじん):「①かしこい人。聖人に次いで徳のある人。賢士。賢者。②にごり酒の異名。清酒を聖人というのに対する。」(『新字源』p.961)、ここでは、①の意味で用いていますが、②の意味を暗ににおわせています。


●解説:

 今回は、東の籬(まがき:竹や柴で編んだ目の粗い垣根)で菊を眺める場面を、七言律詩の漢詩に詠みました。

 この七言律詩は、私が所属している漢詩の会の浪速菅廟吟社(なにわかんびょうぎんしゃ)の十月の課題詩である、同じ詩題の七言絶句(一句目・二句目・七句目・八句目)と、二組の語呂合わせの句である対句(ついく)(三句目と四句目、五句目と六句目の二組)とを同時に作って繋ぎ合わせた形になっています。

 この漢詩は、陰暦九月九日の重陽(ちょうよう)の節句に、黄色い菊が東の籬にある東晉(とうしん)の詩人である陶淵明(とうえんめい)の家を訪ねたという設定で詠んでいます。そして、家の門前に五本の柳を植えて五柳先生(ごりゅうせんせい)を自称する陶淵明(とうえんめい)は、酒に酔った男を迎え、数個の酒樽の良いお酒を、詩人の杯(さかずき)で酌み、酒杯の中の咲こうとする菊の花が晴れた日に鮮やかに見えて、胸の内の正しい文章は、太平の世に良いものであり、暫く美しい菊の花を眺めて、起こった事件について静かに話し、その中では、清濁(清酒と濁り酒)を併せ飲むような聖人と賢人の言葉があった、という情景を思い浮かべて漢詩を作っていました。

 清濁を併せ飲む言葉として思い浮かぶのは、儒学の五経(ごきょう)の一つで、周の時代に伝わった易についての書である『周易(しゅうえき:又は『易経(えききょう)』)』の、「師(し)」の卦の一節にあります。

 師(し)の卦は引っ越し前のブログでも取り上げましたが、改めて更に詳しく説明していきます。師(し)の卦は次のような形をしています。

師.png
図1:師(し)の卦の形


では、まずはこの卦を解説する卦辞(かじ)は、次の通りです。

■原文:

師、貞、丈人吉、无咎。

■書き下し文:

師(し)、貞(てい)にして、丈人(ぢやうじん)なれば吉(きち)にして、咎(とが) 无(な)し。

※丈人(じようじん(ぢやうじん))(小書き文字を使うと「じょうじん」):「①老人。丈は杖〔つえ〕、老人は杖を用いるからいう。②徳のある長老の尊称。③妻の父。④祖父。⑤父の友人。⑥父の姉妹。」(『新字源』p.34)、ここでは、②の意味で用いています。

 更に、『論語(ろんご)』の「微子(びし)第十八」の篇では、丈人(じょうじん)は蓧(あじか:竹やわらで作った土を運ぶときの農具(『新字源』p.869))を背負った老人として出て来ます。南宋(なんそう)の朱熹(しゅき)の『論語集注(ろんごしっちゅう)』では「隠者(いんじや)(小書き文字を使うと『いんじゃ』)」(世を避けて隠れている人。世の中を見すてた者。隠士。)を「丈人(じょうじん)」のこととしていますが、この『周易(しゅうえき)』の北宋(ほくそう)の程頤(ていい)の註釈(『周易程氏伝(しゅうえきていしでん)』、以下同じ。)には、次のように述べています。

○原文:

丈人者、尊嚴之稱。帥師總眾、非眾所尊信畏服、則安能人心之從。

○書き下し文:

丈人(ぢやうじん)なる者(もの)は、尊嚴(そんげん)の稱(しよう)なり。師(し)を帥(ひき)ゐて眾(しゆう)を總(す)べるに、眾(しゆう)の尊信(そんしん) 畏服(ゐふく)する所(ところ)に非(あら)ざれば、則(すなは)ち安(いづ)くんぞ能(よ)く人心(じんしん)の從(したが)ふを得(え)んや。

「嚴」の新字体は「厳」、「稱」の新字体は「称」、「眾」の新字体は「衆」、「總」の新字体は「総」、「從」の新字体は「従」
「丈(ぢやう)」の新仮名遣いは「じよう(小書き文字を使うと『じょう』)」
「帥(ひき)ゐて」の新仮名遣いは「帥(ひき)いて」
「畏(ゐ)」の新仮名遣いは「い」
「則(すなは)ち」の新仮名遣いは「則(すなわ)ち」
「安(いづ)くんぞ」の新仮名遣いは「安(いず)くんぞ」
「從(したが)ふ」の新仮名遣いは「從(したが)う」

※尊厳(尊嚴)(そんげん):「とうとくておごそか。おごそかさ。」(『新字源』p.284)

※尊信(そんしん):「とうとんで信頼する。」(『新字源』p.289)

※畏服(いふく(ゐふく)):「おそれて服従する。」(『新字源』p.670)

○現代語訳:

 丈人(じょうじん)というのは、尊くて厳か、尊くて威厳のある人の呼び名です。軍隊を統率して民衆を治めるのに、その統率して治める人(将軍)が、もし民衆が尊んで信頼し、畏れて服従するような人物でなければ、どうして上手く民衆の心が従うように出来るでしょうか。


 更に、北宋(ほくそう)の程頤(ていい)の註釈では、次のように述べています。

○原文:

所謂丈人、不必素居崇貴、但才謀德業、眾所畏服、則是也。

○書き下し文:

所謂(いはゆる) 丈人(ぢやうじん)は、必(かなら)ずしも崇貴(すうき)に居(を)らず、但(ただ) 其(そ)の才謀(さいぼう) 德業(とくげふ)、眾(しゆう)の畏服(ゐふく)する所(ところ)なれば、則(すなは)と是(ぜ)なり。

「德」の新字体は「徳」
「居(を)らず」の新仮名遣いは「居(お)らず」
「業(げふ)」の新仮名遣いは「ぎよう(小書き文字を使うと『ぎょう』)」

※崇貴(すうき):「尊貴、高貴。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「崇貴」の検索結果 < http://sou-yun.com/QueryAllusion.aspx > (アクセス日:平成二十九年九月三日(日))))、つまり、「極めて尊いこと。身分が高く尊いこと。」です。

※尊貴(そんき):「きわめてとうといこと。また、そういう人や、そのさま。」(Webサイト『goo国語辞書』の「崇貴」の検索結果 < https://dictionary..goo.ne.jp/jn/131946/meaning/m0u/ > (アクセス日:平成二十九年九月三日(日)))

※高貴(こうき(かうき)):「身分が高くとうとい。また、その人。」(『新字源』p.1134)

※才謀(さいぼう):「才能和謀略。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「才謀」の検索結果 < http://sou-yun.com/QueryAllusion.aspx > (アクセス日:平成二十九年九月三日(日))))、つまり、「能力と謀〔はかりごと〕。」のことです。

※才能(さいのう):「知恵やうでの働き。能力。うでまえ。」(『新字源』p.399)

※謀略(ぼうりやく)(小書き文字を使うと「ぼうりゃく」):「はかりごと。たくらみ。計略。」(『新字源』p.939)

※徳業(德業)(とくぎよう(とくげふ))(小書き文字を使うと「とくぎょう」):「德行與功業。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「德業」の検索結果 < http://sou-yun.com/QueryAllusion.aspx > (アクセス日:平成二十九年九月三日(日))))、つまり、「道徳に適〔かな〕った立派な行ないと業績。」のことです。

※徳行(德行)(とつこう(とくかう))(小書き文字を使うと「とっこう」):「①道徳に適った立派な行ない。②徳と行ない。品性と行為。」(『新字源』p.356)、ここでは、①の意味で用いています。

※功業(こうぎよう(こうげふ))(小書き文字を使うと「こうぎょう」):「てがら。なしとげられ事業。業績。」(『新字源』p.134)

○現代語訳:

 いわゆる丈人(じょうじん)とは、必ずしも粗末な姿で身分が高く尊い立場にいることはなく、ただもしその人物の能力と謀(はかりごと)と、道徳に適(かな)った立派な行ないと業績が、民衆が畏れて服従する程である場合は、それで良いのです。


 以上より、師(し)の卦の卦辞(かじ)の現代語訳は、次のようになります。

■現代語訳:

 師(し)の卦は、正しい心を固く持って、丈人(じょうじん)、つまり尊くて威厳のある長老であれば、軍隊を率いて民衆を統率する場合も、民衆が喜んで信頼し、畏れて服従することになり、この状況であれば、吉であり、過ちを免れるのです。この丈人(じょうじん)は、粗末な姿で身分が高く尊い立場にいることは無くても、その人物は、能力と謀(はかりごと)と道徳に適(かな)った立派な行ないと業績が、民衆が畏れて服従するほどのものでなければならないのです。


 ここで、卦辞(かじ)を更に解説した彖伝(たんでん)の文章を示していきます。この部分が、今回言いたい所です。

(三つに分けて訳しています。)

○原文:

彖曰、「師、眾也。貞、正也。能以眾正、可以王矣。

○書き下し文:

彖(たん)に曰(いは)く、「師(し)、眾(しゆう)なり。貞(てい)、正(せい)なり。能(よ)く眾(しゆう)を以(もつ)て正(ただ)す、以(もつ)て王(わう)たるべし。

「王(わう)」の新仮名遣いは「おう」

○現代語訳:

 彖伝(たんでん:卦辞(かじ)を更に解説する言葉)は、次の通りです。

「師(し)は衆(しゅう)、つまり多くの民衆のことです。貞(てい)は正しいということです。その人物は、上手く民衆を正しい心を固く守らせるようにすることが出来る人物なので、王となることが出来るのです(もちろん、その人物自身が正し心を固く守るのは言うまでもないことです。)。


○原文:

剛中而應、行險而順。

○書き下し文:

剛中(がうちゆう)にして應(おう)じ、險(けん)を行(ゆ)きて順(したが)ふ。

「應」のしんじたいは
「剛(がう)」の新仮名遣いは「ごう」
「順(したが)ふ」の新仮名遣いは「順(したが)う」

○現代語訳:

 師(し)の卦の形は九二(きゅうじ:下から二番目の陽の爻(こう:卦を構成する六本の陰と陽を示す線))だけが陽の爻(こう)で、後は陰の爻(こう)という形です。九二(きゅうじ)は剛(ごう:陽の持つ果断な性質)であり、中(ちゅう:内卦(ないか:下半分の八卦)の真ん中に位置し、中庸(ちゅうよう:常の道を固く執り守り、両極端を避けて程良い言動・立場を取る)の徳がある人物です。)である人物で、その徳によって物事に応じる人物なのです。そうして彼が率いる軍隊は、険しい道を進んで、彼の命令に従うのです。


 さて、最後の以下の本文が、清濁併せ飲む部分の一節です。

○原文:

以此毒天下而民從之、吉、又何咎矣。

○書き下し文:

此(ここ)を以(もつ)て、天下(てんか)を毒(くる)しめて民(たみ) 之(これ)に從(したが)ふは、吉(きち)にして、又(また) 何(なん)の咎(とが)かあらん。

 「毒」はここでは、毒を飲ませるように苦しめる、ということです。「毒」は「おさめる」と読むこともありますが、今回はこのように訓読しました。

○現代語訳:

 以上のことによって、軍隊を動かして天下の人々を苦しい立場にしながらも、民衆がこの人物に従う(能力と謀(はかりごと)と徳に適(かな)った良い行ないと業績に優れ、果断な性質で常に道を固く執り守り、両極端を避けて程良い言動・立場を取る人物に民衆は従う)というのは、吉であって、また、何の過ちがあるでしょうか。」

と。


 能力と徳に優れた威厳のある人が、軍隊を率いて人々を苦しめ、それでいて民衆が従う、というのは、軍隊では無くても、民衆を苦しい立場に立たせて正していく、これは本当に優れた人物が心を鬼にして出来ることです。そのような苦しい状況を決断出来るか、或いは、民衆の立場としてそのような苦しい状況を耐え忍ぶことが出来るか。切実にこの文章を読んで具体的な状況を考えていくと、現状への厳しい認識をするのではと、そのように考えます。


 考えながら、そして改めて学びながら漢詩を続けていく、というのは、楽しみであり、多くの漢詩を作っていく上で、すべきことの一つであると思っています。これからも体調には十分注意しながらも、日々地道に努力を重ねていきます。


佐村 昌哉(筆名:白川 玄齋)

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